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尺八と横笛吹きの独り言
人間だもの・・・・「頼られている・・・・」と感じるときが一番かも
2015年02月21日
テーマ:テーマ無し
●民謡練習会・・・・尺八、孤軍奮闘で頑張りました。
こんな尺八吹きでも、会にとってはいないと困る。(かもね)
人に頼られていると感じるときが・・・・それが一番だーね。
昨晩は尺八は一人、参加の会員は14〜15名。
10月の「おさらい会」に向けて、リクエストで何が出るかわからない緊張の時間。
治部にとっては、これが試練の場で・・・・大変に勉強になるのだよ。
●昨晩リクエストされて「とっさに・・・・」吹いた曲。
ハイ・・・・何を唄われますか?
十三の砂山・・・・了解。
本荘追分(これはむんずかしい・途中で歌手が放棄・三味線がまだ完全でない)・
秋田長持唄(7寸いいね)・・・・次ぎ・・・・
鬼怒川筏流し唄(ウーンこれは譜面を見ながらだ)・
道南ナット節・小諸馬子唄・生保内節(fue唄2尺2寸)・
日向木挽き唄(6寸オクターブ下から5寸オクターブ下(2尺7寸)に変更。いいねえ)
貝殻節(2尺1寸二上を9寸二上に変更。寸法を探りながら)
・豊年こいこい(昔やった。思い出しながら)・
灘の酒造り祝い唄(8寸)・秋田おばこ(7寸)・
津軽山唄(2尺2寸)・
音戸の舟唄(9寸裏・2尺4寸・裏は出だしがむずかしい。ロの大メリからだ。)
ホッチョセ(いやあ忘れたが、三味線に合わせられた。すぐ思い出すもんだ)
・房州浜唄(前の会で唄った唄。なつかしい。なんとか思い出せたが、しっかり譜面を捜さねば・・・・)
・上州鏑野糸引き唄(合唱・8本篠笛で吹きました)
てな具合で、孤軍奮闘。
何が出るかわからない。竹もので、知らない曲だでるとダメです。
三味線がつけば、尺八は昔の勘がもどり、カンピュータが働くです。
●『ホッチョセ』ってなんのこと?
ホトトギスの鳴き声だって・・・・
中津川に伝えられている民謡の曲名のことだが、初夏の頃に山や谷間で聞かれる山時鳥(やまほととぎす)の鳴き声が、この土地の人には『ホッチョカケタカ 』と聞こえ、これが短くなって、『ホッチョセ』になり、この曲名になったと言い伝えられている。
ここはナー山家(やまが)じゃ お医者は無いで ア ホッチョセー アホッチョセー 可愛い殿さを見殺(みごろ)しに ア ホッチョセー アホッチョセー
さまと旅すりゃ 月日も忘れ 鶯が啼く 春じゃそな
月の出ごろと 約束したが 月は山端(やまは)に わしゃここに
こぼれ紅葉の 友禅(ゆうぜん)しいて 小唄聞きたや聞かせたや
遠い畔道(あぜみち) よう来て呉れた 裾が濡れつら 豆の葉に
http://musiquejaponaise.free.fr/hocchosebushi.html
●6寸尺八唄口(うたくち)が修理完了しまして郵便小包みで到着。
左は唄口が欠けた修理前。右が修理完了の唄口。修理費7000円なり。
さっそく鳴りを調べました。前と同じ。
尺八工房では琴古がほとんどでしたが、都山のものを捜して購入したもので、10万程度のものでした。(20万ほどの高価なものは年金生活ではとても買えません)
低音はよく響きますが高音域がやや鳴りにくい尺八だ。
安くても、一応自分のクチに合う。20万〜30万ほどの高級尺八は音が出ないことがある。いまのところこれが一番良い・・・・
●「信濃追分」の修正譜面。
さて、「追分宿」の<追分節>、いわゆる<信濃追分>とされるメロディはいくつか存在します。
●信濃追分1
宿場町として有名な追分宿は信濃追分駅から浅間山方面へ歩いて20分ぐらいのところにあります。江戸時代、軽井沢宿、沓掛宿、追分宿は「浅間根腰の三宿」として知られました。http://ogino.digi2.jp/chuubu/nagano/karuizawa_machi/oiwake_zyuku/index.html
●信濃追分2 〜佐久市岩村田遊郭復興によるもの〜
追分宿は、明治26年(1893)の信越本線の開通によって、さびれていきます。そこで、追分からは当時の中心地であった岩村田(現・佐久市岩村田)へ集団で移り、遊郭を始めたといいます。そして追分で唄っていた<追分節>を大々的に宣伝してから<信濃追分>として広まっていったのでした。
ちなみにこの<信濃追分>の節は、御影新田(現・小諸市)の渡辺善吾が、かつて追分の<永楽屋>のおさのから習ったものといい、それを岩村田の芸者達に伝えたものといいます。やがて、岩村田遊郭の芸者・簾田じょうが「のど自慢」優勝や、レコーディング等で、<信濃追分>が知られて行きます。こちらは三味線伴奏にのせて、「オーサドンドン」の唄ばやしのつく賑やかなものでした。
http://senshoan.main.jp/minyou/minnyou-sinanooiwake.htm
●信濃追分3
各地に伝わる追分節の元祖である。追分の地名は街道の分岐点で各地にある。信濃の追分は、中山道と北国街道の分岐点で浅間山麓の宿場である,信濃追分の宿で飯盛(めしもり)女が酒席の座興に歌い出した三味線伴奏の騒ぎ歌が「追分節」であり,「小室(こむろ)節(小諸節)」というこの付近の馬子歌の節を母胎としたもので、現行の「信濃追分」の原調であるhttp://www.dynax.co.jp/sinsen/shinano/minyoo/shinano_oiwake.html
●信濃追分4
江戸時代、の五街道の一つ中山道を江戸から来ると、最初の難関は、坂本宿から軽井沢宿の間にある碓氷峠越えであった。 峠を越えると信濃の国。追分宿はその三番目の宿場。京都への道中山道と善光寺を経て越後に至る北国街道の分岐点として大いに栄えた。
二番三番の歌詞には、じゃれ唄に、宿の女ろしゅの弾く三味線に合わせて歌い踊る賑やかな喧噪の様が伝わってくる。
ゆったりと野趣に富んだ「小諸馬子唄」が、浅間山麓の追分宿(oiwakejuku)の飯盛り女の酒席の唄として三味線のリズムに乗り、囃子言葉まで付加されて賑やかなお座敷の騒ぎ唄に変化したのがこの「信濃追分」である。後にこの唄は北国街道を北進して「越後追分」を生み、更に北海道に渡って「江差追分」の母体ともなった。
追分宿は中山道と北国街道の分岐点で、馬を追い分ける意味から「追分」といわれ、その歴史は#例幣使(reiheishi)の昔に始まり、近世大名の参勤交代の往来が激しくなる頃にまで至る。弦歌さんざめく中に「信濃追分」の名調子は、旅の印象をひとしお深くしたであろう。
貞享元年(1684)には更に盛況を極め、追分宿の街は五町余り、旅籠71、茶屋18、全戸数約90戸、そのうちの殆どが妓廊という有り様であった。中でも中の三丁目大籬(oomagaki)の油屋、大黒屋などには美人が多くて揚代も高く、庶民にはちょっと手の届かない存在だったという。その街道宿場も、徳川幕府の倒壊と明治23年(1890)信越線の開通によって終焉を迎えた。
歌詞は全て宿場の飯盛り女との愛情に関するものであり、この点は馬子唄の変化であっても内容的に大きな相違がある。後には、同じ歌詞を「馬子唄」と「追分」の両方で唄うようになった。
#例幣使:神に祈りを捧げる「金の幣(ぬさ)」を奉納するための勅使。だが、ところによっては乱暴を働く野党のような存在でもあった。
●ア キタホイ
浅間根腰の ア キタホイ
焼野の中でヨー ホイ
あやめ咲くとは ア キタホイ
しおらしや ア キタホイ
オーサドンドン ア キタホイ
小諸出て見ろ 浅間の山にヨ
今朝も煙が 三筋立つ
来てみりゃとが鳴る出てみりゃ風だよ
(往くよで来るよで面影さすよで)
オーサドンドン
http://matsusakaki.com/?p=183
●fueブログでも「信濃追分」を一度紹介している。
http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/49910143.html
この記事での「信濃追分」譜面は「チ取り」(譜を5律下げて5律上の尺八で吹く)で採譜している。(2尺2寸の譜を5律下げて、5律上げた7寸尺八で移調して吹く。
この場合の調弦は7寸のチが三味線の1の糸)
採譜するときは、うっかり移調したほうのチ取りで採譜してしまうなあ?
●「信濃追分」の唄を覚えるための譜だ。
新会員さんが唄う唄ですが、私はまだ入魂されていない。
おそらく、三味線が追いつかないので、まだこの会では演奏はむずかしいだろう。
しかし一応は自力でやっており、音源を聞きながら合わせられるところまできている。
●しかし・・・・
この唄は難しいなあ。ベテランの斉藤京子さんがよく唄われる。
音源は女性だが2尺1寸でした。高音域の唄なのだろう。この唄を唄われる方は民謡でも上位の方であろう。
唄を覚えないかぎり、譜は体中に入魂できない
まだ完全ではないが・・・・朝のパートで小さい声で唄いながら仕事をしている。
♪
*ハキタホイ
浅間根越しの *ハキタホイ
焼け野の中でヨ *ハキタホイ
あやめ *ハキタホイ
咲くとは *ハキタホイ
しおらしや *ハキタホイ
来たよで来ぬよで面影立つよで
(来たよで戸が鳴る出てみりゃ風だよ)
オーサドンドン
先日車でラジオを聞いていたところ、兵庫県民謡の「菅笠節」という曲が流れました。説明によるとお夏・清十郎の悲恋をうたったものということで、私は初めて聞いたのですが、しみじみとした憐れ深さに渋滞の中の不快さをすっかり忘れました。
♪向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよう似た菅笠が
お夏いとしや こっち向け清十郎 あっち向いても清十郎♪
●「衣笠節」(きぬがさぶし)
この曲をリクエストされた方がいます。これを採譜しようとしましたが、節回しが難しくて途中でギブアップ。えらい難しい曲だ。これも我が会ではまだ無理だね。
この曲の題材となったお夏・清十郎の物語は西鶴の「好色五人女」の第一話でよく知られていますが、その昔姫路の街で実際に起きた事件がもとになっているということで、この民謡も姫路の花街で歌い継がれてきたものだとか。
商家の娘お夏と手代の清十郎は身分違いの恋に落ち、周囲の目を避けて駆け落ちしますが失敗、あえなく捕えられた二人は引き離されて、清十郎は入牢の上に主家の金を盗んだという濡れ衣を着せられ処刑されてしまいます。一方お夏はそのことを知らないまま、清十郎との再会を神仏に祈りつつ日を送っていますが、ある時子供たちが「清十郎殺さばお夏も殺せ」と歌っているのを聞いてしまい、乳母に尋ねると乳母は返事につまってただ涙を流すばかり。さてはと清十郎の死を悟ったお夏はそのまま物狂いとなって子供たちの輪に割って入り、周りの人々が止めるのも構わず、泣き笑いながら歌うその歌は
むかひ通るは清十郎ではないか 笠がよく似たすげ笠が
「好色五人女」にあるこの歌詞がすなわち「菅笠節」の前段。後段はおそらくお夏を憐れむ人たちの声でしょうか。「こっち向け清十郎 あっち向いても清十郎」はさすがに花街のお座敷歌らしく控えめながら囃子調になりますが、その華やかさゆえにかえって若い二人のはかない生きざま、ことに「あっち向いても清十郎」という歌詞の哀切さが際立ちます。時にお夏は十六、清十郎は二十五歳であったと伝えます。
http://hoch.jugem.jp/?eid=54
●地域集会場での三曲練習
春の海(6寸尺八が修理中で民謡での6寸で吹く) 30点
ことうた〜日本の歌〜 40点
花笠スケルツオ(最初は1倍、次は0.95倍速) 25点
都の春(最初は1倍、難所を数回0.95倍速で吹く)30点
まだまだですなあ・・・・
●花笠スケルツオの下合わせ(半分出席出来る予定)
2/26立川(○)・3/24立川(×勤務)
3/28荻窪(×旅行)・4/11荻窪(○)
本番4/19(関東支部演奏会・日比谷公会堂)
●今日の「マッサン」・・・・夫婦愛を感じました。
戦時下で、エリーを故郷スコットランドに帰すため、苦悩の末に離婚届を出したマッサン。エリーが警察に捕らえられるのを海軍の将校がこれを救った(ウィスキーが海軍御用達の会社になったことから軍のおかかえとなったためにこの難局を逃れられた)。
この一連のことで、ますます夫婦の絆を強く感じ・・・・マッサンは離婚届を破く。
エリーは涙ぐむ・・・・絶対にお前を離さないぞ・・・・
もうすっかりfueさんは、エリーのファンになりました。
日本的で、きめ細やかなしぐさの中に優しさが出ている。
すばらしい女優さんだ。日本語が話せない状況であんな演技が出来るとは・・・・
毎朝、録画したのを見るのが楽しみになりました。
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