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のびたの日記

涙も郷愁も 唱歌「ふるさと」歌い継がれて100年 

2014年08月27日 外部ブログ記事
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日本の次代に残したい歌では 常に唱歌 ふるさと と 赤とんぼ があげられる
他の歌より群を抜いて 日本人の愛唱歌となっている所以である
今年 その発表(1914年・大正3年)から 100年を迎える
 
戦前の歌の殆どが 内容が難しい 時代に合わないと切り捨てられている
その中でも この歌だけは どんな時代でも愛され 心の郷愁の歌となっていた
歌詞が またどの人が歌っても 自分のことのようにも共鳴できる素晴らしさだ
 
うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
いかにいます父母 つつがなしやともがき
雨に風につけても 思いいずる ふるさと
志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き ふるさと 水は清き ふるさと
 
この歌にどんなにか励まされた方が居よう
志を果たして ふるさとへ帰ろうかと思った方も居る
事情があって ふるさとへ帰れなく いつもこの歌を歌うのだろうか
 

   豊田村の高野辰之記念館に立つ ふるさと歌碑
 
長野県・豊田村に作詞の高野辰之記念館がある
ここに育ち やがて渡米したりして 文学博士となって帰国した
故郷に錦を飾って帰る この意味も込められていたのだろう
 
芸大の前進 東京音大の教授にもなったのが 才能の為す所以か
晩年は 同じ信州の野沢温泉に別荘を持って暮らした
おぼろ月夜 の作品も ここで暮した風景が珠玉の心の映像である
 

 
北朝鮮に拉致されて 奇跡的に帰って来た あの 曽我ひとみ さん
過酷な運命に翻弄されたが その時も 心の中でふるさとを歌い偲んでいた
日本語を話すことも もちろん歌うことも禁じられて どんなに辛かったことか
 
理不尽な拉致被害者は まだ多く北朝鮮に居る
その方たちも 日本語で 日本の歌を 故郷の地 日本で歌うことを夢見ている
最後のチャンスと言われる今年の成り行き 希望は大きい 返せ拉致被害者!
 

 
現在は 佐渡に暮らしているが 帰られた時 当時の仲間の女性たちと会った
そして みんなで この ふるさと を歌って涙ぐんでいた
日本に帰ることも 日本語で 心おきなく歌える ふるさと 辛さも払しょく出来たか
 

 
東日本大震災の後は この ふるさと を歌うのが辛い方が多く 控えてきた
あの津波 今まで平和な暮らし 穏やかな暮らしを一瞬にして変えた運命の日
現在も 復旧 復興はあるものの 多くの命が消え ふるさと も消えて行った
 

 
悲痛の中でも 人間は生きなければならない 立ち直らねばならない
哀しさを隠して 笑顔で 仮設住宅や 新しい仕事で懸命に頑張って居られる
行政も私たちも いつか本物の笑顔になるまで 支援を続けよう
 

 
原発の被害者も 更に深刻である
そこに ふるさと があるのに ふるさとへ帰れない
山があり 川があり 家が そのまま残っているのが悲痛である
 
花は咲く この被災地の方々へ 心を一つにして 励ます歌だ
復興支援ソングである 
いつか みんなの心に花が咲いて 心から歌える ふるさと であって欲しい
 

 
ふるさとが無くても この歌には 懐かしい香りの郷愁がある
どこか心の中にある ふるさとがある
日本人にとっては この美しい国こそ 愛してやまない 故郷なのだ
 

 
写真は 55年ぶりに訪れた 私の故郷 信州・高遠から更に入った山奥
生死の境目を多く味わった ふるさとだが 不思議に辛さ哀しさの想い出は無い
小学校の時代は そんなものか 対して両親は どんなに過酷だったか
 
    最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m



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