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天国のお花畑 

2014年05月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し





















そんなことは聞かなくてもわかっていると言われそうであるが、私は子供の頃から勉強のできる子ではなかった。それでも大学という場所に通い始めると、いろいろなことに興味を抱くようになり、ここが最後の自由の楽園と考え、遅まきながら勉学に励んだ時期があった。大学の講義で「人間関係論」というのがあり、大いに期待して受講したことを思い出す。
 
1927年から1932年にかけて、アメリカ最大の通信機メーカーであるウエスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、従業員の生産性に影響を与える要因はいったい何かについての大掛かりな実験が行われ、ホーソン工場実験と人間関係論として語り継がれている。この実験は当初は古典的管理論で主張されている内容を実証することを目的としていた。たとえば、作業をする部屋の照明の明るさや温度など、物理的な作業条件の変化が労働者の生産能率・生産性を規定するという仮説を実証しようとした。しかし、実験結果はそのような仮説を支持するものではなく、従業員の仕事に対する意欲や集団規範など、物理的な作業条件以外の要因、人間関係に関する要因が生産性に大きく影響を与えているという結果が得られ、その後人間関係に関する研究がすすめられたのだった。
 
以来、人間関係という言葉は様々な場面で登場することになったが、私は若い頃、ある大企業の課長が「人間関係を深める会」という名で毎月、今でいう飲み会を開催していたことを思い出す。その会に、私はご想像通り毎回欠かさず出席していたが、いつの日にかこのような会を自分も主催してみたいと考えるようになり、それは私の現役時代の同業者を集めて実現したのだった。そもそも私の飲酒歴の始まりは、学生時代下宿の小さな部屋で始まった。卒業し世の中に出るとウイスキーくらいは飲めないといけないという、浅はかな考えから買ってきたトリスの茶色い液体に挑戦を始めたが、その味は身震いするほど気色の悪いものであり、友人と二人でこれ一本あれば一月はもてるだろうと話したものだった。しかし、チビチビやっているうちにじわじわと身体の細胞が喜びを感じ始め、一月どころか三日とかからず瓶は空っぽになったのであった。
 
この地で移住生活を始めたころ、妻は長い飲酒生活の結果、私はもはや一生に飲む量を完全に飲み尽くしたのだから、ここではもう飲むのを止めろという。私はそれに従い、健康にいいという赤ワインなら少しは飲んでもいいという屁理屈をつけてワインを飲み始めたのだが、そうこうしているうちに人間関係も広がり、ついに「浅間高原の大自然に抱かれ人生を楽しむ会」などと酔っぱらいが付けるような会の名前を考えついた。
そして先日、メンバーを集め「浅間ビューサイトで北軽井沢の遅い春を楽しむ会」というまたまた長い名の会を開いた。当日は私の勤務する北軽井沢スウィートグラスではちょうど「クレージーウエディング」があり、キャンプ場最奥に陣取った私たちも負けずにクレージーバーベキューを堪能したのだった。この会には「マグロ王子」と呼ばれる人物がいて、肉と野菜のバーベキューにマグロの刺身やマグロのテキ、カマなどが存分に楽しめるのである。今年から新しく参加した私の同僚夫妻も大いに会を盛り上げてくれたが、準備したドラム缶、テーブル、椅子などがどのように片づけられたのか、私の記憶から抹消されている。
 
ツリーハウスから森の回廊を通りオシギッパの森に入ったメンバーたちは、目指すジェロニモの滝へ進む頃には、最年少参加者5歳のO君に同化して、大きな少年少女になっていた。地蔵川にかかる小さな橋も、体重制限はないものの、その重量に耐えられるか心配する場面もあった。そしてみんなはついに隣接する牧草地に現れた花園を発見した。
それは私も生まれて初めて見る天国のお花畑で写真撮影の頃には参加者の頭上に光が輝き、スローモーションで笑いがこだましていった。
 
最後に、来月私が参加する予定の北軽井沢マラソンに、担架を担いで並走するという二人と、給水ポイントでポリフェノールをサービスするという人物に、きっぱりとお断りを申し上げたい。天国の神よ、あーめん!
 
 

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