豊かな人生にするために

生き方研究所 その1 愉しく生きるために 

2014年05月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日から少しつたないブログを書こうと思います。
ご批判を処置で勝手気ままに筆を走らせますので、何卒ご寛容にお願いします。

多くの外国人の友達と接していて日本人は生き方が下手だという。生き方が下手とはどういうことだ!。・・・
と怒る気持ちを抑えて問うと、『あまりにも世間体を気にしすぎて自分の価値観より社会の価値観を最優先して幸不幸を判断するからだ』。と云ってきた。

そんなことはない。日本人も多様性があって人それぞれの個性を大切にしているぞ。というと、『あらゆる場面でニュースや新聞の論説を信じすぎて自分で考えてみる習慣がないからだ』と答えてきた。

『だから、本に頼ったり今話題の評論家、著名人の云うことを鵜呑みにする傾向があるというのだ。』
そう云われると、違うぞ!と反論できなくなる自分がそこに居ることに気が付いた。

『五十路からの生き方』、『55歳からの一番楽しい人生の見つけ方』、『幸せとは何か?』、『老後の真実』、『人間にとって成熟とは何か』、『老いてこそ人生』などなど最近知らぬ間に居間にこのような類の本が増えてきた。たぶん自然のこの手の本を購読していたのだろう。

幸福論や人生論をいくら見ても聞いても自分の心が喜ばない。それはお仕着せの価値観という基準を当てはめて自分はどうなんだろうト評価しようとするからだろう。

お叱りを受けることを承知で云えば、所詮、宗教にしても、哲学にしても、本来それは絶対的なものではなく、心の栄養素として生き方に彩りを持たせる手段のような気がする。生きるための拠り所といってもいい。

自分の心は自由で、躍動感に満ち溢れているとき、何かをめざし挑戦しているときに幸せを感じるものなのであろうし、誰かから感謝されるとき、そして自分の存在価値を認められたときに幸せを感じるものなのだろう・・・・。
勿論、押し殺してきた欲求が満たされた時も一瞬でも幸せな気がするのだが。・・・

自己実現の欲求を満たすには使命感という尺度も必要な反面、他人に迷惑をかけない範囲で破天荒デ自分勝手な生き方も時には大切なような気がする。それが社会的に見てどうであろうとも。

多くの外国人と接していて、他人の目を気にせずに自分なりの人生を謳歌しているのは、たぶん自分の心に正直に生きれているからだろうと思うからだ。

もう歳だから・・・、体力がないから・・・、世間から白い目で見られたくないから・・・・、誰も相手にしてくれないから・・・、お金がないからタだと決めつけ諦めていては自分の存在価値はない。

この世に生を受けた身ならば、自分という個性を大切にして、恋愛なり、仕事なり、遊びなり、使命なり、勉強なり、自分が求めるなりに精一杯生きてようとすることこそが最大の価値だと改めて思った。

失敗を怖れるために何もしない人生より、生きた証を立てる人生のほうがよほど幸せである。ニーチェ

愉しいお仕着せの人生より、個性あふれるオーダーメードな人生をenjoyしませんか?きっとその方が幸せな気がしました。



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