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尺八と横笛吹きの独り言

飯能の民謡ってけっこうあるね・・・・ 

2013年10月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●昨晩の民謡練習課題曲 

九十九里浜大漁木遣り唄・鱈釣り唄・道南口説き・いやさか音頭・お立ち酒・吾野機織り唄・南部牛追い唄・八戸小唄(fue唄)・夏の山唄・越後追分・音頭の舟唄・石投げ甚句・秋田草刈り唄・日向木挽き・大漁唄いこみ・白浜音頭・米山甚句・筑波山唄・相川音頭・沢内甚句・筑後酒造り祝い唄・喜代節・
 昨晩は尺八が2名で少し楽をさせて頂きました。
おさらい会まで練習はあと1回。今日は参加者が多いほう。およそ15名ほど・・・・
寸法の修正、確認。
いよいよ来週の13日の日曜日からが闘いだ。
民謡おさらい会・三曲演奏会・民謡全国大会合唱・・・・この三つの山を乗り越えなくてはいけない。いざいざ・・・・

 
●尺八はこうしてガラガラポーン・ドサ・・・・
都山流の先生方はこういう尺八の扱いにびっくりするようだ。尺八1本が30万ほどの高級管ならこんなことはできない。わたしのは十把一絡(じゅっぱひとから)げだから、傷がついても気にしない。唄口のケースもしないで、露吹きもほとんど使わない。
 よい子は真似しないでね・・・・

 
●飯能の民謡「31曲」踊ります。飯能市市民活動センター10月5日(土)本日でした。
主催「飯能の”みんよう”保存会」
雨の中でしたがカッパをきて会場までバイクで乗り付けました。
●収録した曲。
名栗音頭・飯能小唄・飯能音頭・名栗側小唄・飯能音頭2005・ああ振武軍・西川音頭・飯能筏唄・名栗川筏唄・飯能麦打ち唄・吾野機織り唄・武蔵機織り唄・飯能臼引き唄・武蔵野炭鉱小唄
西条八十・村田英雄・星野哲朗・船村徹・島倉千代子・小沢千月・吾妻栄二郎・田端義男・斉藤京子などなど蒼々たる作詞家・作曲家・歌手のお名前が随所にある。
いっぺいあるだあねえ・・・・飯能市はお隣の町。小沢千月さんは飯能出身だ。
 再認識しました。
飯能は歴史の町、民謡の町、筏流しの出発点、西川材、機織り、麦打ち・・・・


●こんなようして飯能の民謡を踊っていました。
司会者やパンフレットからは様々な情報がありましたよ。
・プロ歌手の吾妻栄二郎さんは飯能に教室をお持ちということがわかりました。
・飯能の美杉台で、民謡教室があります。
・アマロス症候群(アマチャンの放送が無くなり、気落ちしている方が増えている)という現象が巷では起こっています。
・飯能の筏は西川材木を入間川、荒川と渡り・・・・千住まで行った。
・10/20(日)名栗川ふるさと祭り
・10/13(日)B級ご当地グルメ王決定戦・・・・飯能市役所・富士見小学校にて

 
●筏乗りと西川材について
飯能市の名栗地区(なぐりちく)、原市場地区(はらいちばちく)などの入間川上流の村々では、山から切り出した木材を筏(いかだ)に組み、江戸(東京)に盛んに流送していました。消費地である江戸から見ると「西の川筋から流されてくる木材」なので、『西川材(にしかわざい)』と呼ばれるようになったと言われています。
江戸幕府開府以降、町づくりや、度重なる江戸の大火の復興のために、江戸時代初期から木材を送っていたと言われていますが、それを示す資料は見つかっていません
明治期で筏流しがもっとも盛んであったのは明治20年から40年にかけて、日清・日露戦争による木材需要が急増した時期だったといわれています。
●大正4年(1915)に飯能−池袋間に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通すると鉄道による木材輸送が始まりました。また、道路が整備され、山方から飯能まではトラックで木材運搬が行われるようになり、飯能駅周辺には材木業者が多く店を構え、製材や取引はここでおこなわれるようになりました。これにともない筏流しは減少し、大正末から昭和初めごろを境に完全に姿を消したといわれています。
名栗を出発して平水ならば5日目に千住に着いたといいます。
http://www.city.hanno.saitama.jp/0000001148.html

●ご当地で有名なおもち「しりもち」について・・・・
入間川下流の「あづま峡」というところにあった小さな茶屋で餅が売られておりまして、それを食べると筏乗り師達は元気が湧いてきてどんな急流でも、難所でも「しりもち」をつかずに一気に乗り切ることが出来ると評判になり、いつしか「しりもち」とよばれるようになりました。
今でも「四里餅」と書いて「しりもち」とよむ商品名で売られております。
●「筏乗り」が「ただのり」しただと・・・・ 
ところで筏乗り師達が退屈しのぎに唄った「筏節」は、千住の宿を中心にして流行っていた「千住節」のうちの「流し唄」ですが、この唄を覚えた筏乗り師達はお互いにのどを競って歌いながら共に荒川を下ったそうです。
 中には、千住大橋の上から手招きする千住遊郭の遊女と筏節の唄比べをして遊女に勝った筏乗り師が、一晩ただで遊ばせてもらったと言う、何とも羨ましい話もたまにはあったようです。
 「筏乗り」が「ただのり」させてももらったと言う訳。
http://takasago01.exblog.jp/12202723/
●千住の遊郭を散策してきて良かった。
飯能の筏乗りが千住まで西川材を運搬して、千住で遊んだんだ。うんだ。うんだ。千住と飯能がつながったぜ・・・・

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