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尺八と横笛吹きの独り言

民謡会の一泊旅行で群馬県「老神温泉」に行ってまいりました。 

2013年06月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

これは老神温泉の大蛇。旅館の朝市で散策中、ヘビの張り子をみっけ・・・・

昔の伝説でなあ・・・・赤城山の神様は大蛇だったそうな、そして日光の神様はオオムカデだったのじゃ、これが争っって壮絶な闘いじゃやった。赤城山の大蛇は痛手を負い、お湯につかって傷をいやした。それでまたオオムカデと闘ったのじゃ、それでとうとうオオムカデをを追い払った。それでオオムカデの神を追い払ったので追い神となり老神(おいがみ)と転化した。そう言うわけじゃ・・・・その傷をいやしたのが老神温泉の地だったのかしらね・・・・
老神は「おいがみ」と読むが「ろうじん」とも読めるのが、難点。「ろうじん温泉」の名前のごとく、お年寄りが立ち寄る素朴な温泉地だ。近隣の「吹割の滝」が唯一の観光地だが、やはり斜陽の感が否めない。廃業を余儀なくしたり、おみやげやさんがつぶれたりしている跡を見た。どうしたらこの地を活性化できるのか?悩むなあ・・・・そんな気持ちにもなった。地元の観光課は相当に悩んでいるものと推察される。

●「日光」の字は・・・・
二荒山および二荒神(宇都宮二荒山神社)の「二荒」(ふたあら)を「にこう」(古くは「にくゎう」)と読み、これに「日光」(古くは「にっくゎう」)を当てたものである。

 
●バスの中の尺八と横笛。
尺八ケースは持って行けないので、このように小分けしてバス内でもいつでも吹けるようにスタンバイ。
「貝殻節」「花笠音頭」「ソーラン節」・・・・「九十九里浜大漁木遣り唄」
確か・・・・そんな唄をバス内で合唱しました。
ICレコーダ音源から小型スピーカで流した民謡お勉強音源。 
江差追分・鈴鹿馬子唄・正調生保内節・十勝馬唄・秋田おはら・南部牛追い唄(グランプリ)・相馬二遍返し・道南口説き・日向木挽き(全国大会)・両津甚句・いやさか音頭・上州鏑野糸引き唄・新しげさ節・越中おわら・

● 
●この観光バス(マイクロバス)で21名参加。(民謡2団体)
平均年齢?68位かな?最高年齢89才男性(元気で吹割の滝まで往復徒歩で行きました)。
会費はお一人15000円。宿泊は一泊9000円前後・残りは飲み代よ・・・・
市役所に9時30分集合。車は市役所に駐車(届け出必要)。関越・沼田IC・吹割の滝
ホテル宿泊。
誉国光(ほまれこっこう)酒造見学・川場田園プラザ見学(おみやげ)・果実庭見学(サクランボ)・沼田IC・市役所帰還(3時30分頃・帰還は早い)


●薄根(うすね)の大桑。
こんな大きな「桑の木」が・・・・驚きだ。樹齢1500年。日本では古墳時代で大和朝廷成立初期の頃だ。恐ろしいほどの古木だ。良く残ったねえ・・・・感動。
●日本一のヤマクワの巨木。樹齢1,500年と推定。樹高が13.65m、太さは約8m近くあります。地元では 養蚕の神様として祀られ、周りの低木の桑が霜害等にあった時はこの桑の葉がカイコを救い、 飢饉の時には桑の実が人々を救ったと伝えられています。養蚕の歴史を見続けてきたこの美しい桑(くわ)
http://www.kuwachahonpo.co.jp/nikki_usune.html
●群馬県と言えば、温泉?こんにゃく?そして、生糸。収繭量日本一(群馬県公式サイト)だそうです。そのシンボルにふさわしい、日本一と言われるヤマグワの巨樹です。
●畑地の中にあるヤマグワで、よく茂り樹容は美しい。ヤマグワでは日本一の巨樹である。根元周囲5.67m、樹高13.65m。樹齢は推定1,500年。
 真田伊賀守が幕府に領地を没収された後、貞享3年(1686)に幕命で前橋藩の家老高須隼人が石墨村を再検地した際、この大クワを検地の標木にしたといわれている。幹が太く容姿端正なことで、「養蚕の神」として永くたたえられてきた。

 
●地面に落ちている「桑のみ」・・・・なにか虫が大発生して動くような・・・・そんな感じ。
みなさんその「桑の実」をもいで食べました。その味は甘さを控えたまろやかな味。
これでジャムをつくるらしい。この桑は個人の所有で管理者は沼田市となっている。
●「赤とんぼ」の童謡の中に「桑のみ」が出てきます。
♪夕やけ、小焼けの、赤とんぼ、負われて見たのは、いつの日か。 山の畑の、桑の実を、 小籠に摘んだは、まぼろしか。 十五で ねえやは、嫁に行き、お里のたよりも、絶えはてた 。

「桑の実」    門倉 詠

桑の実をつみにいった 
兄さんといっしょにいった。 
ひとつ ふたつ 指でつんだ 
指のさきが 赤く染まった。
桑の実が赤くみのった 
今はだれも摘もうとしない
ひとつ ふたつ 指を染めた 
兄さんはいない 
夕日があかい。

 
●夜の宴会・・・・こんな感じでいつもの我が会の宴会。
写真は「相馬二遍返し」の踊りの一場面。
「お猿の籠や」も踊り、歌いました。旅館の女中さんも一緒に見学していました。
「どこの団体だべ・・・・普通の老人会でねえなあ・・・・」みなうまいわな・・・・

●「柔」のカラオケ一場面

 勝つと思うな・・・・思えば負けサア・・・・宴会部長がバカボン姿になって、布団を帯で締めて、柔道着だ。良い雰囲気・・・・いいぞいぞ・・・・
みなさんゲイを持っていますね。
歌っても演奏しても、踊ってもなんでもできる。H踊りもできる・・・・
こりゃ老人会でないなあ・・・・なにせ元気だ。年齢よりは10才は若いだろう。
70才代の方も50歳代に完全に見える。


●吹割の滝。
私は職場で、何度も来ています。沼田で降りて老神温泉を抜けて尾瀬にいくまでの所にあります。
 水量が少なかったねえ・・・・雨が降らないので水量が少ないそうだ。
●吹割の滝(ふきわれのたき)は、群馬県沼田市利根町にある滝。高さ7メートル、幅30メートル。奇岩が1.5キロメートルに渡って続く片品渓谷(吹割渓谷)にかかる。河床を割くように流れ、そこから水しぶきが吹き上げる様子からこの名が付けられた。2000年のNHK大河ドラマ『葵徳川三代』のオープニングにも登場した。1936年12月16日に旧文部省より、天然記念物および名勝に指定されている(「吹割渓ならびに吹割瀑」)。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
900万年前に起こった火山の噴火による大規模な火砕流が冷固した溶結凝灰岩が片品川の流れによって侵食されてできたV字谷にかかり、そこに向かって三方から河川が流れ落ちるその姿から「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。
●最近渓谷内での事故(死亡事故等)が多発しています。

●昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾30m余に及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと言われております。この滝は、凝灰岩、花崗岩の河床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、「吹割の滝」の名が生まれました。
http://www1.ocn.ne.jp/~tonesyok/chiiki/t3/t3.htm

 
●誉國光(ほまれこっこう)と大吟醸ソフトクリーム。
実は試飲もいたしました・・・・わたしはあまり興味がなく、大吟醸ソフトクリームというのをみなさんで食べました。この味がえらくウマカッタ。軽い味で、切れがよくあっさり、吟醸(ぎんじょう)の味がして・・・・これは絶品でした。
●さらに私が興味を持ったのは、誉國光(ほまれこっこう)のラベル文字の筆跡。
梅酒もウマカッタが・・・・この字が気になった。
ウーンウーン・・・・すばらしい文字だ。書かれたのは「白光」という書家・・・・
「びゃっこう」と読むようだ。
●書道家 柏木 白光(女流書家)
中津市生まれ。書家だった父の指導で六歳から書の道へ。毎日女流展(1988年グランプリ受賞)など多くの書道展に入賞。
音楽とのジョイントで書を揮毫するという独自の「墨アート」の世界を創造する。
世界平和を願った海外公演も多く、国内では、郵政公社、青年会議所などのイベント出演や、ミュージシャンとのコラボレーションも多い。
また一方、伊勢神宮、明治神宮、靖国神社などに作品が奉納された。
ユウチューブで見ると和服を着ながら、音楽に合わせて「エイヤ・・・・」と気力でかき上げている。しかしこの誉國光(ほまれこっこう)というラベル文字はおみごとな作品。スキがなく、完璧な出来です。いい字です。ほれぼれする。酒より字だ。(試飲しただけで怒られそう)

●申し訳ありませんので、会社概要を写して掲載いたします。
昨年に引き続き、2010年モンドセレクションにおいて純米酒が2年連続で金賞を受賞しました。
群馬県沼田市に明治40年に創業致しました。
譽國光という難しい名前は、「我が國が、譽れ高く、光り輝きますように」という創業者の熱い思いからつけられています。
老舗と呼ぶにはまだまだ浅い歴史ではありますが、創業者がお酒を造り始めてからの120年(創業してからは約100年)の間には、色々な出来事がありました。
二代目土田國太郎は、全国酒造組合中央会会長を務めました。
そして、関東で唯一の名誉賞を受賞した蔵でもあります。
※名誉賞とは、戦前に行われていた品評会(現在の新酒鑑評会)に連続で入賞した蔵だけに与えられる名誉ある賞です。
平成になり、沼田市の都市開発に伴い酒蔵を移転いたしました。
水を求めて利根郡や沼田市に十数本の井戸を掘り、やっと以前と同じ水脈をここ川場村に発見し、移転となりました。(平成四年)
現在では、六代目当主(土田 祐士)を杜氏として、日々良いお酒を求めて、昔からの伝統的な手造りと、近代的な装置を使った造りとの融合をはかっております。
また、平成20年10月1日、土田祐士を新社長に、株式会社化し、新社名「土田酒造 株式会社」として、新体制となりました。
http://www.homare.biz/sake-brewer-introduction/

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