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老いの道は未知 

2013年05月08日 外部ブログ記事
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先月末からのゴールデンウイークも終わり、私は今日から4連休。先ずは三原モーターでタイヤ交換。ここではノーマルタイヤとスタッドレスタイヤの割合が同じで一年のうち半分はスタッドレスで過ごす。タイヤ交換は5月の連休明けと11月の初旬と決めている。
一年に2回タイヤ交換の時に行く三原モーターでは、いつもご隠居夫人が待っていてくれて私とのお喋りが始まるが、このたびは夫人が股関節骨折の手術をしたという話しが中心になった。
昭和2年生まれの夫人は、すでに86歳であるが、手術後のリハビリに意欲があり、今では手押し車を頼りに歩行の練習に余念がない。近いうちに杖で歩けるようになるのだと意欲満々である。
 
私は先日、河合隼雄・多田富雄の対談「老いをめぐって」、を読んだ。その中で、免疫学者の多田富雄氏は、「老い」というのは、生物学的に研究するとき、生物の発生や分化などの場合のようにすっきりとはいかない。端的に言えば、現代の科学をもってしても分からないことが多い、と言っている。私の母は81歳で亡くなったが、ご隠居夫人は86歳でまだ意欲を持って目的に邁進している。「老い」を一種の決まりきった「病」のように考えて、歳をとれば「ぼけて死ぬ」と非常に単純な図式で考えがちな一般論は危険である。
 
人は幼児から子どもになるところで、いろいろなタイプの子どもが出てくるように、老人のほうもいろいろなタイプの老人が現れる。老いは多様的であり個人差があるが、多様的というのは、単に一人一人、老いの速度に違いがあるということではなく、それぞれの人によって、あるいはそれぞれの個体によって違った老いの現れ方があるらしい。老人のほうも、一般的パターンに汚染されず、自分の個性を生かしながらどう生きるかを考えるべきである。
 
「初心忘るべからず」という有名な言葉があるが、世阿弥の著書「花鏡」には、初心にも三種類があり、それは、若い頃の初心、その時々の初心、老後の初心で、老後の初心というのは、体力がなくなったとしても年代に応じた新しい工夫をすることによって、常に創造的であり続けることができるという意味だという。これからの老人は、自分で自分の老いを創造するという覚悟を持たなくてはならない。
 
河合隼雄氏は臨床心理学者。京都大学名誉教授で文化庁長官を務めた。多田富雄氏は、免疫学の第一人者、東京大学名誉教授。河合氏は、2007年、多田氏は2010年にそれぞれ亡くなっている。
 
三原モーターのご隠居夫人とあって、もう一度この本のページをめくってみたが、老いに向かって進んでいる自分を感じながら、「老いの道は未知」であるから、自分で創造していかなければならない、と改めて思った。
 
 
 

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