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尺八と横笛吹きの独り言

知名度のある方、3人と握手しましたの・・・・巻 

2012年12月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●昨日の15日(土)10時。
埼玉9区衆議院選挙演説・・・・入間市に大物議員がきました。 

自民党総裁、安部さんが地元入間市に応援演説に来ました。
追っかけよろしく、いい年こいて・・・・物見遊山感覚で聞きに行きました。
自民の若手、大塚氏(3年前に民社に負けて落選)の選管委員長の弁!!
 「総裁、安部さんが来ると言うことは、みなさーん。大塚さんが危ないのです」
「てこ入れに来るのデース」「みなさんそこのところ再認識して下さーい」
NHKテレビ、SP、係員のものものしい警備の中で総裁が現れた。
 若い大塚氏も3年かけて命がけで、復活をかけているのがひしひしとわかる。
奥様の丸川 珠代(まるかわ たまよ)(以前のTVタックルの司会者でおもしろキャラアナウンサー)参議委員による必死の応援。(お二人とも入間市にお住まいだ)
「皆様どうぞどうぞ・・・・よろしくお願い申し上げます」泣き声に近い。
安部さんの演説も、笑いがはいりさすが上手。
 演説がおわり、今度は群馬に応援に行くという。
降りてきて握手会。
 群衆のなかに、顔を見えないままfueの手だけを出していたら・・・・安部さんが握手してくれた。
思ったより柔らかい手でした。
 大塚氏も先日駅で私に握手してくれた。
演説を聴き、握手されて、丸川奥様の必死の声を聞くとぐらつく野田。
 なんとか復活をさせたい気持はわかる。しかし民主があれだけやってきたのです。
マニフェストは守れないほどの山積された課題に、やってきたのではないのですか?
 地道に声は大きくなくドジョウはやってきた野田。またぞろ、また元に戻ってもできない、あっちのあたらしい声高の政党はあぶない野田。奪還か継続か、新風か?
 たぶん民主は大敗するのだろう。しかし自民が勝っても、この先はおなじ道をたどるだろう。あれだけ国民が変換を期待した3年前の民主の勝利・・・・このていたらく・・・・
 しかし次の政党も同じ道をたどる。数々の問題が浮き彫りにされたわけで、むしろ継続で頑張って欲しい野田よ。
(大敗はするだろうが、fueのような意見も多いはず)

 
●前週の9日(日曜日)夜に、地元の「ヤオコー」店前で、民主「いがらし」候補の演説と参議委員の連舫(れんほう)さんの応援演説。
あっちも、こっちも有名な議員さんが、この小さな町に応援演説だ。
 連舫さんの演説は、間がうまい。いままで多くの無駄予算を削ってきた実績を力強く訴え、候補の「いがらし」を応援していた。
「いがらし」さんとも力強く握手した。(私と同年代でお隣の狭山市に住んででおられる。なかなかの財政通だ)
群がる聴衆で連舫さんとは握手できませんでした。
もうこうなると候補者よりは有名人の「追っかけおじさん」だわね。
 ただね生(なま)で演説を聴くところに意味がある野田よ。
べつに私は民主の党員でもない、自民にも共産にも一票を投じたことがある。
素の人間をこの目で見て投票するだけだ。

 
●関係していた以前の勤め先の50周年行事がありました。
コチラが先の振り込み(5000円)でしたので、後出しの民謡の忘年会は欠席でした。
 13年もいた勤務先で、なつかしい先輩と後輩の顔があちこち。
歴代の社長、課長、部長・・・・なつかしいのう。一応ここで49歳から62歳まで心血を注いだ勤め先。感慨深い。記念誌にも苦労話を寄稿させていただいた。エクセルの講師をしたり、新しい部の新設、課の規定の改訂修正・コンピュータ処理・なつかしい。
 いまの社長は違う職場でご一緒で、飲み仲間。
「まさかこんなに偉くなるとは思ってなかったよ。」「私もそう思ってたよ。fueさん」
 

●乾杯のあと、樽酒の鏡わり。「よいしょ」「よいしょ」「よいしょ」。拍手。

 
●なぜかこの席に稲川淳二さん。(あの恐怖のお話で有名なタレント)
みなさん写真をいっしょに撮られていました
つかつかとfue殿は接近。
「同年代ですね、同じ時代を来ました。徹子の部屋でいろいろ家庭のことをお聞きしました。いろいろありますね。頑張って下さい」固く握手しました。
 思ったより、低姿勢で腰の低い方でした。テレビではおふざけしていますが、息子さんは難病でしたねえ・・・・笑いの奥には力強いものがありますね。とてもいい方のように思われました。

 
●喪中のハガキにこんな喪中のハガキがきました。
一瞬読みながら、「・・・・ええ」「・・・・」
あのNさんが亡くなられた。それも亡くなったご本人からだ。
「決別の辞」
わたしこと2012年11月15日をもって死去しました。ではじまる文章。
強烈な印象だ。
 亡くなられたんだ、いつも年賀状は行き来していたのに。職場の先輩で大部私なども助けられた方。常に職場の和を大事に、執行委員とか組合の分会長とかやってこられた。
といっても党にそまるのでなく分析力するどく弁が立ち説得力がある。敵味方をうまくつなぎ合わせ交渉してきた職場になくてはならない存在の方でした。
 最後に「なお、この葉書の発送は愚息に託しました」とある。
病床の中でこの文章をしたため、息子さんに託したことが書いてある。
Nさん安らかに・・・・お世話になりました。合掌。

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