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雑感日記
私の人生、川の中から始まった?
2010年06月19日
テーマ:テーマ無し
ちゃんと覚えておられますか?
私の記憶で一番旧く一番鮮明に覚えているのは、
『私の人生の始まり』とも言える記憶は、
今の韓国のちょうど真ん中辺りに位置する、『大田の川の中』から始まっている。
お隣の竹内さんのお兄ちゃんと、家の直ぐ近くの川の中にいた。
鯉か鮒か、何かよく解らぬが魚を捕ったのか、捕ってもらったのか?
とにかく、魚を持って大喜びしたところから、私の人生はスタートしたのである。
成長してからも、魚が無類に好きで、ずっと魚釣りをしたり、家で熱帯魚を飼ったり、鯉を飼ったりしたのは、この人生のスタートの印象が強すぎるのかも知れない。
ただ、朝鮮大田の思い出は、これ以外はほとんど覚えていないのである。
『竹内さんのお兄ちゃん』と言っているのは、その後の勝手な推測で、私を川などに連れて行ってくれるのは、お隣に住んでおられた竹内さんの、年格好から言っても竹内さんのお兄ちゃんしか、想い浮かばないのである。
戦後、阪大か市大の教授になられたと聞いている。
★私は昭和8年3月2日、『明石市上の丸2丁目720番地』で生まれた。
当時、父母がそこに住んでいたのか、たまたまそこで生まれたのか、その辺はよく解らないが、そこで生まれたことはその後のいろんな方の話から間違いない。
今は明石の『魚の棚』(うおんたな)で有名になった、その直ぐヨコの細工町に屋敷があって当時はそこが本籍で、伯父たちもそこに住んでいた。上の丸は、別荘だったのである。
ひょっとしたら、その別荘の上の丸に、父母は住んでいたのかも知れない。
とにかく、祖父の遺言で、財産分けなどしていなかったようである。
伯父と父男は二人、妹の叔母と3人兄弟だが、仲が良かったのは子供から見てもよく解った。
私の本籍の住所は、上記の通りで免許証の記載もそう書かれているのだが、今はそんな番地は存在しないのである。
多分、当時の別荘の土地は2000坪か3000坪、前のテニスコートも入れるもっとあったのかも知れない。
それがすべて1つの番地だったのかも知れぬが、今はそこに、3〜40軒ほどの家が建っていて、それぞれ番地を持っている。
戦後、一部は新しい道路にもなったりもしている。
小学校の頃は、夏、冬の休みに毎年朝鮮から帰省していたので、戦前の戦災にあう前の当時の様子はよく覚えている。
ただ、生まれてから大田に行くまでの、明石の記憶などは当然のことながら皆無なのである。
★そんなことで
私の人生のスタートは、大田の川の中から、突然始まっている。
前回もちょっと触れたが、大田には祖父が作った大田電気があったのである。
『大田の川の中から一挙に今のソウル京城』の経緯を前回ウロ覚えで書いたのだが、
それをちゃんとネットで調べて、教えてくれた人がいる。
大和屋嘉平さん、東京で部品や
船の模型などのご商売をやっているNPO The Good Times の関東統括理事村島さんである。
その検索からは、いろんなことが解った。
どうも戦前の朝鮮での『社史』を造られた方がおられるようで、その記録がいろんな検索キーワードで現れるのである。
(その記述はいろんなキーワードの組み合わせで、いろんなものが現れる。やりかけるとキリがないので後に纏めておくことにする。)
★その記述からすると
昭和12年に朝鮮総督府の電気事業統制推進政策により、『南鮮合同電気』に統合合併が行われ京城にその本社が移った。
昭和12年、私が5歳の頃で、この統合があったので京城に移住したのだろう。
京城に移ってからのことは、何となく覚えている。
当時保育園や幼稚園があったのかどうか、私はどちらにも行っていない。
3月の早生まれで、7歳でいきなり小学校に入学した
そんなことで、私のトモダチの記憶は、それまでは誰もいない。
それまでに、遊んで貰ったという記憶は、『大田の竹内さんのお兄ちゃん』だけなのである。
★南鮮合同電気の本社が京城にあり、伯父が年に数回明石からやって来ていたので、その関係で、京城に移ったのだろう。
ただ、小学校時代、父はずっと無職で、通勤をしたりする父の姿は見たことがない。
絵はよく描いていた、趣味としては本格的だった。
書や絵の号を『素雪』と言った。
書は『橋本海関』絵は『橋本関雪』が師匠だと自慢していたから、多分素雪の雪は『関雪』さんから貰ったのだろうか?
橋本関雪の父海関は、明石藩士で遠縁に当たるらしくて、伯父の家にも、京城の家にも関雪さんの絵はいっぱいあった。明石の絵は戦災で焼けてしまったし、朝鮮に残してきた絵はどうなったか知る由もない。
今は父の戒名で『素雪居士』としてその名前だけが残っている。
書も、絵もそこそこのレベルだと言うことはよく解ったが、
『ヴァイオリン』は子供が聞いても、お世辞にも上手いとは言えなかった。
そんな父であったが、小学校時代、今の父親のようによく遊んでくれたと言うような記憶は全然ない。
あまり怒られたこともないが何となく一歩離れて父親を見ていたような気がする。
私が高校3年のとき52歳で亡くなった。
母はこの6月末もう直ぐ101歳の誕生日である。
父が早く亡くなったからという事ではなくて、私は父が好きである。
若し人生に悔いがあるとすれば、『父と話をする時間が少なかった』ことである。
多分、伯父とは、父との会話の3倍ぐらい『一緒にもいたし、話もした』のである。
★そんな小学校時代が今のソウルで、多分6歳のころから始まるのである。
それまでの、大田での私の記憶は、極端に言えば『大田の川の中』だけなのである。
(検索のまとめ)
●兵庫県 明石水力電気の重役だった古谷虎雄は渡鮮してすぐ忠清南道の江景で江景電気株式会社(創設:西島寅吉)の設立に動きました。
● 江景電気の社長になった古谷虎雄は忠清道の中心都市である大田の将来が有望であると考え大田電気会社の株を買い取り、大正9年 社長に就任しました 。
● 大正13年 社長の古谷虎雄が亡くなると息子の古谷脩一が後を継ぎました。 本社:大田府本町2丁目写真:
●昭和12年に朝鮮総督府の電気事業統制推進政策で大邱の大興電気(株)が朝鮮南部の大手6社を吸収合併する形で、大田電気株式会社と傍系の電気会社はすべて南鮮合同電気株式会社に吸収され消えることになりました。
●南鮮合同電気 取締役一覧会長 香椎源太郎(6千株) 社長 小倉武之助(7万株) 副社長 古谷 脩一(一万五千株) 副社長 上杉亥八(一万株) 常務 青柳八百蔵 (?) 大田電気常務 佐久間權次郎(?) 常務 樋口 虎三(一万株) 常務 増田 定吉
●南鮮合同電気株式会社の公称資本金は2165万円年内に増資して5000万円を予定し配電会社としては朝鮮で最大になります。
● 1945年9月 米国との戦争に負けた日本は米軍の出した帰国命令で総引上し、南鮮合同電気は韓国人の経営になりました。
などの記述が見つかりました。戦後どなたかが、どこかの電力会社の社史の編纂を手がけられたようです。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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