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福山八幡宮 

2011年10月28日 外部ブログ記事
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              福山八幡宮
 
予備知識なしで行きましたが、大きな神社で驚きました。
 
福山城の北側の松廼尾山に祀られ2つの社で構成されています。
 
普通、神社を並列して祀る場合、どちらかの本殿へ合祀することが一般的ですが、
ここは本殿、拝殿、随身門、石段、両鳥居、参道、総門等それぞれが同一規模、
同一形式で東西に並べて建てられ、全国的にもあまり例の少ない形式です。
 
かつては、東御宮は延広(のぶひろ)八幡宮、西御宮は野上(のがみ)八幡宮と呼ばれ
別法人として祀られていたが、昭和四十四年(1969)に両者の法人格を合併し
「福山八幡宮」となりました。
 

両社の本殿は共に建造当時のまま今日まで残されています。
 
中央の拝殿は昭和59年(1984)御鎮座300年の式年記念事業により建てられました。
 
かつては聡敏(そうびん)神社が間を隔てていましたが西御宮裏(北西部)に移されました。
 
本殿の周囲も舞台の新設を始めとする大規模な整備が行われ創建時から大きく姿を変えています。
中央拝殿正面の舞台は巨大な貯水タンクになっており、初期消火に必要な水量(最大水量にて30分連続放水可能)を常に蓄えています。
 
中央拝殿は両社の中間に位置し東西の本殿を同時に参拝できるようになっています。

 
備後福山の総鎮守とされ、境内には水野勝成を祀る聡敏(そうびん)神社や稲荷神社など多くの社も祭られています。
              西の総門  東もほぼ同じです。



     西の参道(左)から両鳥居。 東の鳥居がぎりぎり入りました。


   東の石段から境内へ
   石段下の狛犬 ライオン風です。 天保7年製
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     東の石段 東随身門 


東随身門の中の木製?狛犬          狛犬というよりマントヒヒ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      東御宮拝殿




                
         鮮やかな蟇股(かえるまた)が映えています。
          

 
      東からみた東御宮本殿




     
     本殿裏から東御宮本殿を見る。




     
     中央本殿




     
     西御宮本殿の裏まできました 
     聡敏(そうびん)神社、境内社が並んでいます。



     
     聡敏(そうびん)神社の狛犬と西御宮本殿、中央本殿




 
 
                     聡敏(そうびん)神社
 
福山八幡宮の境内左奥に位置する聡敏(そうびん)神社は、初代の藩主である
水野勝成を祀った境内社です。
 
2代藩主・水野勝俊が福山城内に建立、その後、享保年間になって福山八幡宮の境内に移されました。
水野勝成を「聡明俊敏」とたたえる社名です。
 
水野勝成は徳川家康のいとこで、大坂冬の陣、夏の陣で奮戦し、
大和郡山を治めまていましたが家康の命で外様大名に睨みをきかせる備後国に移封しました。
 
縁起のいい福山という名を決め、城造りと町割りを行ない現在の繁栄の基礎を築きました。
 


 
                                                                拝殿                            



                
  狛犬 恐らく石段下の狛犬と作者が同じでしょう。これも天保7年製です。

 
 
 
 
 
 
      
    本殿
  



 
 
     西御宮本殿を西から


 
    一回りしてきました。
     西御宮、中央拝殿
  


 
丁度雅楽を演奏していました。

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