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平成の虚無僧一路の日記

氷川きよし「会津の小鉄」 

2011年10月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



京都の暴力団の名は「会津小鉄」一家。なぜ「会津」?

初代の「会津小鉄」は、本名「上坂仙吉」、幼名「鉄五郎」。

文久2(1862)年、会津藩主松平容保が京都守護職として
上洛した際に、宿所の手配など、下請け業務を請け負った。

小柄なことから小鉄の異名をとる。全身に70ヶ所もの
刃傷があり、左手は親指と人差し指しかなかったほどの
暴れ者だったが、義侠心あり、慶応4年 鳥羽伏見で
会津藩が負けると、その遺体を、官軍の制止を振り切って
京都黒谷の金戒光明寺に埋葬した。

初代と二代「小鉄」の墓も金戒光明寺の中にある。
立派な墓だ。

会津人にとっては、恩義ある「博徒」であり、私も
「会津藩墓地」に詣でた際は、必ず墓前に参る。
「会津会」としても、彼の功績を顕彰している。

さて、「暴対法」と「なんとか条例」によると、この
暴力団員を祀ることもいけないそうだ。


「会津小鉄一家」は、3代目が 昭和10年(1935年)に
亡くなると 途絶えていた。

それを、40年も経って、昭和50年(1975年)に、中島連合会
会長の図越利一が、「会津小鉄」の名跡を復活させ、現在
「6代目」は「馬場美次」。

なんかもう、会津とは関係が切れて、名前だけが残って
いる感じだべ。


「京山幸枝若」で『会津の小鉄』という歌があり、
「氷川きよし」がリメイクして歌っている。


 梅の浪花で 初声上げて
 度胸千両の 江戸育ち
 何の世間が 笑おうとままよ
 やくざ渡世に 「五尺の体」

 かけた京都の
 かけた京都の 会津部屋

 義理と人情が 男の道と
 いつもささやく 加茂川の
 水の流れに 白刃をかざし
 恋も情けも 笑顔ですてる
 泣くな未練の
 泣くな未練の 川千鳥

 引くに引かれぬ 男の意地で
 どうせ すて身の 稲荷山
 咲いた花なら 一度は散るさ
 のぼる朝日が 草木をそめて

 男小鉄の
 男小鉄の 晴れ姿


「氷川きよし」さん 大丈夫ですかな。暴力団を賛美する
歌なんか歌って、今はヤバイよ。

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