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吉・阿倍野の歴史の道をゆく 

2011年10月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

住吉・阿倍野の歴史の道をゆく
-南朝史跡と安倍清明所縁の地を歩く-
 
 
備陽史探訪の会主催、「住吉阿倍野の歴史の道をゆく」に参加しました。
福山駅午前4時50分集合なのはちょっときついと思いましたが、
鉄道の日記念きっぷの旅でなんと参加費4000円で福山から大阪まで往復出来、
講師が磐座亭さんなので参加してみました。
私以外はほとんどが福山の方で年配の方たちでした。
 
0516福山駅発で網干駅で快速に乗り換え大阪駅まで行き
南海電車へ乗り換え新今宮へ、さらに各駅停車に乗り換え南海住吉東駅に到着。
 
 
南海住吉東駅から歩き最初の見学地、荘厳浄土寺に到着。
 
 
荘厳浄土寺   
 
創建は天慶年間(930〜946)ころ                               
応徳年間(1084〜1086)に白河天皇の勅願時となり「荘厳浄土寺」の寺号を得る。
 
 
現在の堂は天和二年(1682)の再建。住吉四天王寺とも称されました。



 
 
 
 
 
住吉行宮(あんぐう)跡
 
徒歩で移動し住吉行宮(あんぐう)跡へ
住宅街の中にある南北朝時代の南朝側の皇居跡です。
国指定史跡にもなっています。
住吉行宮跡


 
説明板

 
南北朝時代、後村上天皇はたびたび住吉大社に行幸しています。
正平六年(1351)北朝を奉じる足利義詮(よしあきら・室町幕府二代将軍・尊氏の嫡男)の降伏の申し出により正平七年(1352)に吉野から当地に移り
津森氏(住吉神社神主家)の邸内にあった住之江殿(正印殿)を移築し行宮とする
 
 
当地は南朝の勢力挽回の中心となり後村上天皇が正平二十三年(1368)崩御すると長慶天皇がこの地で即位し、吉野に移るまでの約九年間行宮でした。
 
柵の中は石碑があるだけです。

 
 
 
 
 
浅沢神社
御祭神は市杵島姫命で、俗に弁天様とも呼ばれ芸能の神様として知られています。古来、このあたりは浅沢小野(浅沢沼)のあったところで、万葉集にも『住吉の浅沢小野の杜若(かきつばた)衣に摺りつけ着む日知らずも』と詠まれている杜若の名所でありましたが、現在は社殿の周りに昔の面影の一部を見ることができます。
                                 住吉大社略記より
 

 
通称「弁天さん」と呼ばれ芸能・美容の神でもあります。
住吉大社に参拝する女性は必ず訪れる慣わしがあります。
 
神社正面



 
本殿
外からは分りにくかったですが
拝殿などの古めかしい雰囲気と違い華やかな本殿です。
 


 

住吉大社はすぐ近くでした。

 
 
 
住吉大社
 
 
 
住吉大社神田(しんでん)
 
社伝によれば、千七百六十余年の昔、神功皇后が大社を御鎮祭の後、長門国から植女を召して御供田を植えさせられたに始まるという。
 
住吉大社「御田植神事」は国の重要無形民族文化財に選定されています。
御田植神事は儀式を略すことなく当時の格式を守り盛大に執り行われます。


 
             反橋(太鼓橋)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
反橋(太鼓橋)を渡り鳥居前に来ました。
この鳥居は「住吉鳥居」とよばれているもので、柱が通常の鳥居のような円形でなく、方形で珍しい形です。


 
鳥居をくぐると、直ぐ「楼門」があり、広場を隔てて楼門の東側に
 第三本宮が建てられています。                       
 
 
現在ある本殿は全て1810年(文化7年)に造られました。
第一本宮から第四本宮にいたる4棟からなっており、国宝建造物に指定されています。                                            
本殿はすべて西(大阪湾)向きです。
 
第一〜第三本宮が縦に、第四本宮が第三本宮の横にある縦並び本殿は、
住吉大社だけの、たいへん珍しい配置です。                                                   


いずれの建物も造りと大きさは同じです。



 第四本宮は千木(ちぎ・屋根上の交差する二本の木) が水平に切られています
女神を水平、男神を垂直とする説、また、地祖の神は垂直、他から入ってきた神は水平といった説もあります。                                                   

第三本宮: 表筒男命 (うわつつのをのみこと)  左側  
第四本宮:, 神功皇后 (じん ぐうこうごう) 息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)

                
 

               本殿 は華やかで 柱は朱(丹)塗り、板壁は白色の胡粉 (ごふん) 塗りです。        朱塗りの板塀と玉垣で囲まれています。                                      
                                                                    

 
 
 
   
手前が第二本宮中筒男命 (なかつつのをのみこと)           
奥が第三本宮:
表筒男命 (うわつつのをのみこと)
 


 
 
 
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)で結婚式が行われていました。

       

 
楠くん社
樹齢千年を超える楠 (くすのき) の大樹があり、江戸時代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。その後、根元に設けられていた社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。                                   
     夫婦楠



 
 
 
 
 

 








 
ここで画像一杯になってしまいました。
続きは明日になります。文章も明日入れます。
 
 

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