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憲法9条のこと 

2022年03月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:平和

ジャーナリストの伊藤千尋氏の話の抜粋です。

ぼくも全く同感です。
以下抜粋文です。


今こそ9条の時代
ロシアのウクライナ侵略について、いろいろ書いてきました。
でも、そもそも書こうとしたのは「今こそ憲法9条が世界に羽ばたくときだ」です。
ようやく本題に入ります。

戦後の日本はどんな方向を目指してきたのでしょうか。
それは憲法の前文に書いてあります。
大切な柱は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにしたことと、主権が国民にあることを宣言したことです。

戦前は戦争したがる国だったし、国民に主権はなかった。プーチン大統領が牛耳るロシアのような、ものも言えない社会でした。
しかし、自由で民主的な社会を嫌う自由民主党の政治家たちは、日本を戦前に戻そうとしています。
彼らはプーチンや米国のトランプ前大統領と同じく国際秩序を無視し、武力で自国の利益を図ろうとする時代遅れの「力の論理」を掲げます。
安全保障は抑止力に依存すると考え、ひたすら軍備拡張に走る。
それは2度の世界大戦を経て、国連憲章ではっきり否定された概念です。

ともあれ国連憲章も日本国憲法も、せっかく理想が書かれながらうまく機能していないという現実があります。
それは憲章や憲法が悪いのではありません。
きちんと使おうとしないことが悪いのです。
これから先も「力対力」の暴力に頼るなら、日本の未来も人類の将来もありません。
先の大戦で多くの犠牲を払って得たものを捨てて野獣のような世界に戻るのは、人間として恥ずかしいことです。
 
ロシアのウクライナを侵略に対して、それ見たことか、世界は理想通りにはいかないのだから9条など役に立たない、という否定的な論が出ました。
いいえ、違います。
今の時代がまだこの程度だということです。
だからこそ理想に向けて努力しなければ、こんどこそ世界を巻き込む戦争になってしまいます。
 
それにプーチンだって完全に好き勝手にやっているのではありません。戦争とは呼ばずに特別軍事作戦という言い方です。

戦争と呼べば国連憲章違反になるからです。
彼なりに国連憲章に配慮している。
独裁者だって国際法の枠組みに縛られているのです。
 
いま見るべきは、ロシアの侵略に対する世界の人々の動きです。
武力で他国を踏みにじることに対して世界の市民が反対の意志を示し、自発的な反戦集会が地球規模で起きています。
武力の行使に市民が国境を越えて連帯し、発信したのです。
それを評価すべきです。
世界の市民が9条の発想を支持したと考えてもいい。
 
だから、今こそ9条の出番なのです。
争いをなくしたいという人類始まって以来の願い、平和を求める世界の知恵を結集した憲法9条を高く掲げ、その目的に向かって国民も政府も、いや世界の人々が邁進すべきです。
 
現状で何をするかは、そのときどきの情勢に応じて考えればいい。
地球の人々がいっしょに乗った船の行先は見えているのです。
途中で荒波があり岩礁があれば、目の前の状況に応じてかじ取りをすればいい。
目標を外してはなりません。
 
ロシアはウクライナへの侵略によって国の品位を大きく下げました。
当分、世界から信用されないでしょう。
でも、こんな乱暴な国が世界有数の核兵器を所有し、いざとなれば世界を破滅させる力を持っています。
9条を世界の常識とする努力は急務です。
 
それを具体的に進めている市民団体がすでにあります。「9条地球憲章の会」。
代表は幣原喜重郎の業績を発掘した堀尾輝久・東大名誉教授です。
憲法9条の理念を世界に広め、世界の知恵を集めて「地球平和憲章」を作りだそうとしています。
日本の9条の世界版と言えばわかりやすいでしょうか。
 
すでに国連憲章があるじゃないか、と思う方もいるでしょう。
しかし、国連憲章は1940年代という時代の制約の中で生まれたものです。
しかも国家間の決めごとです。
今や地球は国家の枠にとらわれず市民が連帯する時代です。
ならば国境を越えてすべての人が「平和に生きる権利」を保証する制度を市民の手で創り出し、どこかの政府がおかしな行動をとれば地球規模で市民が団結して平和な世界を築く、という行動があってもいい。
 
9条地球憲章の会は2020年、地球平和憲章の「日本発モデル案」を発表しました。
非戦、非武装、非核、非暴力を掲げています。
そうした人類の夢を実現するために、平和の文化と教育を進め、新しい国際秩序を形成していこうと呼びかけています。
 
そして世界の他の国、地域の人々にもそれぞれのモデル案を考えてもらい、それらを持ち寄って地球平和憲章とし、国連で決議、採択に持ち込もうと考えています。
こうした動きがすでに始まっているのです。
 
今現在のロシア非難、ウクライナの難民対応ももちろん必要です。
同時に、このような悲惨なことをなくすための未来へ向けての努力も必要です。
それをしなければ、砲撃で亡くなった赤ん坊、子どもたち、彼らの死は報われない。
 
ウクライナだけではありません。
アフガンで命を落とした中村哲さんの遺志も報われません。
「利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって平和とは理念でなく現実の力なのだ」。
そう中村さんは言いました。
さらに「その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう」とも。
 
僕もそう信じています。
ほかにも無名のまま命を落とした多くの人がいます。
彼らはもはや何もできない。
私たちは生きています。
考えることも動くことも、そしてこの世界を前に進めることも可能です。
違いますか?


これを読んでぼくは頭を打たれたような気持になりました。
憲法9条のすばらしさを知人友人に語ってきたりしましたが
こんな素晴らしい考えのもとに作られたものなんだとあらためて思ったからです。
人類の叡知、世界に先駆けたりこの日本の憲法の大切さを今こそ全世界中に広めなければならないと。
憲法改悪なんてもってのほかです。
そうでないでしょうか?



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