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須佐の帰り 

2011年08月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
約一時間の遊覧でした。


         
             いつのまにか写真を撮っていて無料でくれました。
     右舷後方に座っています。
     遊覧船はキャビンがありますが漁船はこのとおりです。
     爽快でした。

 
 
      
高山(こうやま) 
      昔は神山と記されたそうです。                                            
    山頂部には強い磁気を帯びた班れい岩が広範囲に散らばって出ている。  班れい岩異常に強い磁気を帯び昔から「磁石石」と呼ばれています。
いつか登ってみたいです。
 

 

西堂寺六角堂

萩市江崎の西堂寺境内にあります。
   木造で一面4.26m、高さ11mの六角円堂であり、一重の裳階(もこし)付き、屋根は宝形造りで本瓦葺きで江崎湾内の突出した岩上に建っており偉観です。
   裳階(もこし)や内陣の柱は、すべて六角柱です。大内から毛利の時代にかけて  祈願所として世の信仰があつく、海の中の寺「浮島西堂寺」とも呼ばれ、
     広くその名を知られています。 
   また、この寺の地蔵尊は、使用人との許されぬ恋に落ち海に身を投げた娘の化身として伝えられ「子育て地蔵」と呼ばれています。



 
 
この後、ゆとりパークたまがわからR17を通り津和野を目指しましたが
これが途中狭く山越えの道で小雨が降ってきて撮影どころではありませんでした。
 
 
 
小雨が止んだころ突如大きな屋敷が・
堀庭園
かつて石見銅山で繁栄した豪族堀氏の屋敷でした。
堀家は大森代官の下、銅山年寄役を代々勤めた家
 


 
 
 
鷲原八幡宮流鏑馬馬場
 

 
 
 
全長約270mの馬場で、吉見氏時代に鶴岡八幡宮の馬場を模して作られたもの。
日本で唯一原形を留めている馬場であるとして、昭和41年(1966)5月31日に史跡に指定(同47年7月28日名称変更)された。

 
 
 
 
 
 
津和野に到着。
 
弥栄神社
主祭神は須佐乃男命(スサノオノミコト)
永享9年(1437)吉見弘信が社地を下元原(現在地)に遷座し、
三本松城の鬼門をる社とした。
     吉見氏以降坂崎氏を経て亀井氏が藩政を執るようになり、廃藩に至るまで藩主の造営や寄進を受け、町民の崇敬を集めました。
     
    創建時より「滝本祇園社」という社名であり、現在の社名に改めたのは
慶応3年(1867)のことである。
 
 
境内の大ケヤキ

 
津和野駅
バスがいっぱいで駅の前に人がたくさんたむろしていました。
 

 
 
ここで急に雷が鳴る。
早く帰るべく柿ノ木村までの道R226を通ることに


 
 
やはり降り出したがなんとか恐らく今まで最速で六日市まで着く。
ここから羅漢の山越えか岩国まで川沿いを行くか悩む。
 
雨の山越えは嫌だし、岩国までは50キロ位あるし
結局、六日市から吉和まで高速に乗り帰ることにしました。
吉和からは晴れていました。

   津和野の奥には八幡宮がたくさんあり堀庭園もまた寄って見たいと思います。
 
 

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