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悠々閑々に暮らす身辺雑記

ゆるり散策、東急大井町線沿線。旗岡八幡神社へ行く。 

2011年07月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

半世紀振りに乗った大井町線、車窓から見る街並みがとても綺麗になっていた。
子供の頃、スポーツタイプの自転車を買ってもらった時、初めて遠出をして道に迷った覚えのある荏原町へと向かう。 半べそをかいた! 懐かしい思い出!!!
荏原町駅を降りると駅周辺はすっかり変わっていたが、すぐに訪ねる神社を思い出すことができた。
駅前にあったのです。目の前にあるお寺の隣が旗岡八幡神社なのです。

旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)
長元3年(1030年)、源頼信が下総国(千葉県)において発生していた平忠常の乱を平定するため、
下総に行く途中この地に宿営し霊威を感得して、この地に八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが発祥とされる。
=地名の「旗の台」「旗岡」の名の由来=
当時この地に陣を張った時、源氏の白旗をなびかせて武威を大いに誇ったことから呼ばれる。

鎌倉時代に入り、当地の領主・荏原義宗(源義家の末裔)によって社殿等が建立され、源氏の守護神のみならず地域の鎮守神とした。
荏原義宗は日蓮宗に篤く帰依し、息子を日蓮の高弟・日朗の弟子とさせた。
息子は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山、旗岡八幡神社の別当寺となった。
旗岡八幡神社の前の道は、鎌倉道のひとつで鎌倉へと通じる道として知られている。
江戸時代には二代将軍徳川秀忠の祈願所となった。
『中延八幡宮』とも呼ばれ、江戸名所図会に描かれている。絵馬堂のみ残る。




        大祓(夏越神事)の茅の輪がありました。


旧い絵馬堂が残されています。
解読不能になった扁額や絵馬が多くありました。      本物の大絵馬は社務所に展示されている。


          入口の案内板に掲示されていました。
          しばし黙考する。      

        頑張れ東北 岩手県田野畑村を応援しています

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