メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

尺八と横笛吹きの独り言

「久保田節」・・・・・秋田県民謡 

2018年12月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●「久保田節」・・・・・都山譜
 20年も前に自己流に採譜したのをようやっと整理しました。
河童さん譜面でずいぶん納得しました。「こう採譜するのねえ!」いつも勉強になります。
 結果的には、ほとんど河童さん譜面の写しみたいになりました。
何か所かは自己判断で採譜しています。
この曲は繰り返しの記号が、どう工夫しても小節の途中に入ってしまう。(唄の最後の部分)



●歌詞
〽
エーエ 嶽(だけ)の白雪(しらゆき) 朝日(あさひ)でとける アーア とけて流れて ヤレサエー 旭川(あさひかわ)
〽

エーエ 旭川(あさひかわ)から 流るる末(すえ)は アーア 秋田(あきた)おばこの ヤレサエー 化粧(けしょう)の水



●YouTube「久保田節」

https://youtu.be/Fq5Wb_DnowU

 

●YouTube 梅清 三味線

https://youtu.be/Z0EIPIyqMd0

 

●「久保田節」について
「久保田節」(秋田)
   《嶽の白雪 朝日で溶ける 溶けて流れて 旭川》
 秋田の民謡家・永沢定治が節付けして生まれた新民謡。久保田は佐竹藩時代
の城下町で、現在の秋田市。昭和25(1950)年、市長であった児玉政介が引退
する際、記念に歌詞を作り、永沢がすでにあった唄の曲節を借りて替え唄にし
た。唄が出来上がったのは昭和27(1952)年のことだという。
http://www.1134.com/min-you/02/k0502.shtml
 
●「久保田節」についての過去fueブログから
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/43618489.html
 

 久保田とは秋田の窪田のことで、佐竹(さたけ)義宣(よしのぶ)が今の茨城県常陸(ひたち)の国から、この秋田の窪田(久保田)の地に国替えになり、ここに久保田城を築城した。ここで生まれた民謡だから久保田節だ。 なぜ50万石の源氏の血筋をもつ佐竹さんが、こんな遠方に押しやられたかというとだ・・・・
関ヶ原の闘いで徳川家康の東軍につかなくて、恩になっていた西軍の石田三成に内通しながらも中立を保ったことが原因だ。東軍の家康が勝ったから、罰として国替えさせられたのだなあ。


●久保田節 当時の秋田市長・小玉政介が引退する記念として、秋田県の風物詩のあらゆるものを盛りこんで作詞したものを秋田民謡を代表する永沢定治が作曲したものである。この唄が世にでたのは昭和25年である。久保田とは秋田市周辺の旧名で、佐竹藩の城下であったが、明治22年市制により秋田市となった。 この唄は菊池淡水が採譜し、歌謡調から脱して郷土性をもった民謡として定着させたものである。最初はインテリの小玉氏の唄が秋田民謡にそぐわない小唄風であり、お座敷唄として唄われていて農村部には受けなかった。これを菊池氏が郷土性を待たせるよう変えたのだろう。
(秋田・民謡企画出版・日本民謡おさらい教本から抜粋)


●次の採譜候補曲は有名な「外山節」かな?

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ