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敏洋’s 昭和の恋物語り

高速バス旅 デビュー! (三) 

2018年12月01日 外部ブログ記事
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さてさて、それでは道中記に戻りまょようかね。

大阪には、予定より1時間遅れで到着です。
岐阜駅にて切符を買い求めるのに時間が掛かっちゃいまして。
10分もあれば大丈夫だなんて甘い考えでした。
11月23日という祝日です。「勤労感謝の日」ということ、ご存じでした? 
ご存じですか。でも、友人の誕生日だと言うことはご存じないでしょう? 
すみません。こんな個人的は分かりませんよね、ちょっと自慢したくなっちゃって。
自慢できることでもないんですけどね。

ということで、たくさんの方が待ち状態で30分ほど掛かりました。
で、予定の電車9:22発に乗れず、9:51発 米原行きに乗りました。
朝食は摂ったのですが空腹感があるので、サンドイッチを購入しました。
各駅停車の在来線で、ゆっくりと旅を楽しむつもりでしたが、結構車内が混んでいました。
大垣駅で乗客が減り、やっと座れました。
米原駅からは10:50発の姫路行きに乗るつもりでしたが、尿意をもよおしたので一本遅らせることに。
どんどん予定から遅れます。30分遅れの電車に乗り、今また当初予定より30分遅れとなり、会わせると1時間超の遅れとなってしまいました。
遅くとも12時30分には堺市に到着している予定が、実際には13時40分着になってしまいました。
問題は、昼食を摂っていないということです。
大食漢のわたしです、正直のところ、お腹の減り具合が気になります。
焦って館内に入りはしたものの、いつなん時に倒れはしないかと不安です。
飲食厳禁ですからね、どこでもそうなんですけれど。

堺アルフォンス・ミュシャ美術館ですが、ベルマージュ堺弐番館内2F〜4Fにあります。



19世紀末から20世紀初頭にかけて、演劇・芸術・ファッションで人々を魅了していた大女優サラ・ベルナール(1840/1844-1923)。
彼女は、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)が一躍パリで売れっ子のデザイナーになるきっかけとなった人物です。
サラはイメージ戦略の重要性に気づき、ポスターや写真などを積極的に利用して、自身のプロモーションに役立てました。
また興行主としても活躍し、世界各国で公演を行って国際的な名声を博しました。
亡くなった時は国民葬とも言えるような大規模な葬儀が行われたこの偉大な女優は当時の芸術界にも影響を与え、ルネ・ラリック(1860-1945)やアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1844-1901)もサラに関わる作品を残しています。
またサラは、自ら執筆や彫刻を行うアーティストとしての才能を発揮しました。
本展はサラ・ベルナールを大々的に紹介する日本初の巡回展です。
サラ・ベルナールの芸術と栄光、その社会的影響を、写真、肖像画、ポスター、そして、ミュシャ、ラリック、ロートレックなど同時代の作品を通じて再発見し、その足跡をたどります。−−−−−堺 アルフォンス・ミュシャ美術館HPより

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