小欲知足

あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて 

2018年08月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:生き方

58歳の朝は、土曜出勤の妻を送り出し、何ら普段と変わらない一日を過ごしました。

朝は玄関で「儀式」があります。

そこには私なりの覚悟が込められています。その気持ちを再確認した一日でした。

良き日に良い人と。永遠には続かない人生の一日です。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

58年前の8月25日、私はこの星に生まれました。

その誕生日の朝、土曜出勤の妻にフレンチトーストを作り、玄関でキスしてぎゅーっとハグして送り出しました。いつもの朝と、それは変わりません。

本を読み、洗濯物を畳み、ゴミを出し、買い物に行って夕食の準備をします。

夕食のメニューは亡くなった母が私の誕生日になると作ってくれたササミのフライです。幸運にもササミはスーパーの特売品になっていました。下ごしらえをして寝かせ、サラダも作って冷蔵庫へ。

妻が帰ってきたらフライを揚げ始め、風呂から上がって来た妻が食卓の準備をしてくれます。

誕生日もいつもと変わらぬ日常。それを愛おしく感じるのは、それだけ歳を食った証なのでしょう。

いつもの夕食と唯一の違いは、妻が買ってきてくれたケーキが冷蔵庫に冷えていること。でも、久しぶりに動きたくない程食べたお腹には入りそうもありません。沢山は食べないこの夫婦は、そんなときは「朝ケーキ」です。


私が朝、出掛ける妻を抱きしめてから送り出すのには、息子が一緒に住んでいた頃から変わりません。

息子はそんな両親の朝の「儀式」を見ながら育ちました。日本の家庭では極めて少数派でしょう。

私がそうするのには理由があります。

(ブログへ続きます)

あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて
https://mikawaya1960.blogspot.com/2018/08/blog-post_21.html



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