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独りディナー
小さなラジカセ
2018年07月13日
テーマ:シニアライフ
昨年亡くなった叔母の墓参で、上京した。
亡くなるまでの数年間、お世話になっていた茨城県の老人ホームに、現在は義叔母が入居している。
そちらにも、お邪魔した。
すべて、亡き従弟の奥さんが連れて行ってくれた。
都心に住んでいる彼女は、叔母が亡くなるまで毎週お見舞いに通ってくれていたらしい。
私より、一歳下の従弟と、四歳下の従妹の事は、大分前にブログにも書いたけれど、二人とも60歳を超えた頃に、子供も無く、病を得て世を去った。
叔母は結局、長男の奥さん以外の身内に先立たれたのだ。
上野駅で待ち合わせた従弟の奥さんが、すべてタクシーで案内してくれた。
墓参の後に、義叔母を訪ねた。
何十年ぶりだろう。
「面影が全く変わってしまって、わからない」と義叔母は、私を見て言った。
その部屋は、広い窓からお昼の光が差し込んでいて、奥にいる義叔母は逆光で、顔がよく見えない程だった。
私は、シニアになった未亡人の先輩として、その暮らしぶりにちょっと感動した。
其処は有料老人ホームで、叔母達はマンションの一室のように、購入して住んでいるらしい。
ホーム全体では、居住者同志の交流のイベントなどが色々あるらしいけれど、全くそれらには参加していないと言っていた。
「娑婆にいたときから、全然社交的では無かったから・・」
90歳に近い義叔母は、足は弱ってる風だったが、タクシーでつくば市の図書館へ行っては借り出してくる本が、一番のお仲間の様だった。
お部屋の冷蔵庫から、出してくれた水菓子は、京都の銘菓らしく、
「柏の高島屋デパートまで行くと、手に入るの」と、今も、色々なこだわりを、持ち続けているらしい様子だった。
そして、タクシーという足を駆使して、ステーキを食べに行ったり、近くの海を見にも行ったそうだ。
お部屋は、エレベーターのすぐ前にあって、L字型の片方の壁は、一面に窓ガラスで、とても明るい印象だった。
でも、置いてある物は殆ど無い。
叔父は、長く音楽評論をしていた人で、当地では著名人で、多分華やかな人生を送ったのだろうと思う。
沢山の音楽家達が、叔父の家に遊びにきていたらしいが、その中で義叔母は彼らとは距離を置いて、自分の世界を守り続けてきたのであろうと、想像ができた。
音質にこだわって作った叔父の家は、私が子供だった60年くらい前から、建物全体が響きのために建築された様な作りで、当時は結構話題になっていた。
義叔母は、その環境の中で
「私は、活字の方が・・」と言って、染まることなしに自分を貫いてきたのだ。
「最近はね、古今集とか、平家物語の中の好きな歌を、自分で字を崩していって、書いたりしているの」
と、数枚の短冊を見せてくれた。
「これが、私の暇つぶし」
そして、何冊かの文庫本の隙間に、小さなラジカセが置いてあるのが、いかにも物欲の無い義叔母の部屋を象徴している様であった。
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「自分」が納得できる人生
そうした生き方で、人生の終末期を
終える事が出来れば最高ですね。
誰かと比べてとか、誰かのようにという
「タラネバ」を考えても、成るものも
成らない最終回になってしまいます。
今、出来ることを実行するこの義叔母様。
あっぱれですね!
2018/07/17 10:10:16