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独りディナー
七年間の重み
2018年07月14日
テーマ:シニアライフ
墓参の帰り、当地のレストランで食事をしながら、亡き従弟の奥さんと色々おしゃべりをした。
彼女にとって、婚家側の親戚で付き合いがあるのは、私くらいしか居ないのだ。
私が、従弟を幼い頃からの呼び名で話すのが、とても嬉しいと言っていた。
従弟は、個性の強い人で、人付き合いも決して好きでは無かった。
結婚して間もなく、彼女のお友達が遊びに来て、従弟に「ご主人も、一緒にどうですか?」と誰かが声をかけると、
「うちには、主人はいないんです」と答えたそうで、間に立たされた彼女は本当に困った、という話をよくしていた。
あるとき、
「友達は、居ないの?」と聞くと
「友達、って、何?」と訊き返されたそうだ。
「それは、知り合いでしょ」
その従弟が、自分の結婚式に家族以外、唯一呼んでくれたのが、私だった。
ルーテル教会でオルガンを弾く、という役割だったけど、まだ幼い娘に花嫁さんの裾持ちという役割もつくってくれて、それは素敵な思い出だ。
だから、奥さんにしても私だけには親しみを感じてくれているのだろう。
千駄ヶ谷の駅からほど近いマンションに住んでいたのだが、奥さんは伊勢丹のデパ地下でよく食料を買いこんだそうだ。
荷物が重くて、自宅に電話すると、駅まで迎えに来てくれる従弟の、信号待ちしている姿が、電車を降りると見えたとか。
「せっかく迎えに来ても、にこりとする訳でも無いんですよ」
という彼女は、
「時々、胸のこの辺が、痛くなるんです・・。又、会いたいなぁ、と思って・・」
それは私にとって、実に重い言葉だった。
これから、自分も迎えていく重い年月。
「悲しみは、少しずつ来るんですよ」
「七年経って、どんな風に変化していくものかしら?」と私が訊ねると
「段々、深くなっていくわね。きっとそれは、自分も老いていって、気力も体力も弱くなるからかもしれない・・」
それぞれの、重い年月。
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