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中国では鎮護国家の仏教に(2) 

2018年06月13日 外部ブログ記事
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日本に入ってきた仏教は儒教と道教の国・中国の変質した仏教

仏教国にはならなかった中国の王朝
 ☆唐の時代の中国では、西域とシルクロードを通じ、文化交流が盛んに行われた
 (ゾロアスター教のササン朝ペルシアの衰退期)
 (アラビア半島でイスラム教が急拡大する時期)
 ☆中国で発明された新技術、イスラム世界に伝わり、イスラム帝国の文明レベルを押し上げた
 (製紙法や火薬等)
 ☆中国には西域を通じて最新の仏教がもたらされた
 ☆鳩摩羅什、玄奘が経典の漢語訳を行い、中国仏教は大きく興隆した
 ☆中国の統一王朝が仏教国にならなかった
中国では隋の時代に儒教思想にもとづく科挙制度が始まる
 ☆仁や礼といった儒教思想による国家運営と仏教は相容れない
 ☆出家して修行するということは、世俗と関係を断つことを意味する
 ☆道教は「今生きるこの世をいかに楽しく楽に生きるか」を追求し仏教とはなじまない
 (「不老不死」と「輪廻・解脱」もまた相容れない考え方)
 ☆中国仏教は、国家が僧を国家公務員とし、寺院も丸抱えで面倒をみる仏教となる
 ☆インド仏教とは異なる国家が檀家で、国家のために働く鎮護国家の仏教が生まれる
 ☆国家鎮護仏教の基本的な考え方(僧侶や寺院を国費で補助するという方針)
 ☆国とサンガの関係が中国で形成され、その仏教が朝鮮半島と日本に伝わってきた
日本の仏教はインドの仏教でない
 ☆日本の仏教は、中国で味付けされた仏教からスタートしている
 ☆日本の仏教は、インド仏教とまったく違うものにみえる
 (インド直輸入ではなく、中国式仏教を輸入している)
建築・美術も中国式を輸入した日本
 ☆サンスクリット語やパーリ語で書かれた仏典
 ☆中国、朝鮮諸国、日本は、漢字という共通の道具を持っていた
 ☆仏典は漢訳され、日本の知識階級は原典のまま、理解することが可能でした
 ☆今でも日本の仏教は基本的に中国で訳されたお経を読んでいる
 (漢語をさらにローカルの日本語にすることを怠ったともいえる)
 ☆インド仏教では大規模な寺院建築はない
 ☆日本仏教は、壮大な伽藍配置や寺院建築方式も「中国式」を持ち込んだ
 ☆僧侶の服装もまた中国の様式を取り入れた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


日本に入ってきた仏教は、儒教と道教の国・中国の変質した仏教
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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