おもいでの山々

峠 

2018年05月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然


笹子峠に立った。新緑がまぶしい大月方面を一人ながめていた。
ふと82才の北斎がここにこうして大月を振り返ったんだろうか?当時は甲州街道とはいえ峠は間道にちかいような山道だったろう。
江戸から小布施まで6日で歩いたらしいから
本当なんだろうか? 笹子峠をこえるのに一日はかかったろうし、もうひとつ諏訪から塩尻峠もある。相模の小仏峠も越えた。
晴天続きだったんだろうか? 雨にふられなかったんだろうか? 草鞋だって峠を越えるのにはなん足も代えなければならないはず! 疑問は疑問をうみ迷路になるが峠を越えなければ甲州には入れないのはまちがいないから! 一人で?? 役者絵、相撲絵、漫画、お品書き、入場札までやらなければ食っていけない日銭の暮らしで身の回りを世話する小者なんて伴う余裕あろうはずもないし本妻、後妻の奥さんにもさきだたれ長女をなくし、孫娘はいたけど小布施には足跡すらない! 小布施にいけば食住をきにせず描きたいものができる。ただそれだけで老人を信州にまで向かわせた。
 やっぱり一人でこの峠にたって後ろを
振り返ったんだ。どんな気持ちで▪▪▪。

付記:その後90歳で没するまであと三回信州小布施をおとずれ作品を残している。権力の庇護を受けない街の画人がこんなにものたうちまわるように活動できるもんなんだろうか?
版元がスポンサーだったんだろうけど富士山を一周し名作を残した。その一作、ながい間どこから富嶽したのかの論争にも終点がおかれた。田子の浦! 船上からだったとか。

追記:まさか柳沢峠を越えて甲府にはいったとか、中仙道をたどり碓井峠を越えて長野経由という可能性もあるのだろうか?
追記:ロゴの写真は足柄峠万葉公園



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