宗教日記

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて 

2018年03月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:宗教

親鸞聖人のいう
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて」(歎異抄)
とはいかなるものか、鈴木大拙氏の本に
そのありさまが生き生きと記述されている。

大拙氏の存命中に現存していた
妙好人(真宗の優れた信者)のある婦人について
のべたあとの記述。

「彼女は、
『私の盲目と無力のゆえに、
親の力で、夜明けが私にやって来ました』と続けます。
この夜明けというのは、
希望を失い絶望し切っているとき、
どうしたらよいかわからなくなっているとき、
何かが未知の境から現われ出て、
それがさっとわれわれの心に光をひらめかすのです。」
(「真宗入門」p162)

体験した者だけがわかるこの世界。
不思議としか言いようのない事柄。

「救い」はほんとうに「他力」だったのだ。



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コメントの返信

菜穂子さん


>自身がどう歩むかが
受動ではなく、能動だと思います

体験するとわかるのですが、
どう歩むかがおのずと決まってしまうという感じです。

2018/03/14 09:24:11

そこから

さん

「他力」である事を識り、
敬虔な気持ちで受け止めて
そこから自身がどう歩むかが
受動ではなく、能動だと思います

2018/03/13 07:51:51

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