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尺八と横笛吹きの独り言

西郷(せご)どんが明日から始まります。尊王攘夷・公武合体・征韓論・西南戦争 

2018年01月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

いよいよ明日からNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が始まります。
さっそく西郷隆盛の本をツタヤで買いまして、勉強がはじまりました。
せっかくドラマがはじまりますので、予備知識がないといけません。

すべてはペリーによる黒船来航から、長い鎖国時代の夜明けが始まる。
時の幕府はてんやわんや……弱体化している江戸幕府、不満がいっきに様々な場面で爆発して、明治維新となった。西郷どんは、時代に翻弄されて……とうとう士族の不満を一身で引き受ける形で城山で没した。その人間的な魅力にも接したいものだ。
幕末から明治維新での背景にある思想・戦争……尊王攘夷・公武合体・征韓論・西南戦争などをまとめて少しづつ加筆したい。

●西郷隆盛
[生]文政10(1827).12.7. 鹿児島
[没]1877.9.24. 鹿児島

幕末,明治維新の元勲,政治家で軍人。通称吉之助。南洲と号した。薩摩藩下級士族の出身。藩主島津斉彬 (なりあきら) の知遇を受け藩政に参画。島津久光の公武合体論に抗して尊王攘夷運動に奔走。慶応3 (1867) 年 12月9日の王政復古に重要な役割を演じ,新政府参与,戊辰戦争では大総督参謀となった。明治4 (71) 年,参議筆頭となり,廃藩置県に尽力したが,征韓論を唱えて政府にいれられず辞職。帰郷して私学校を経営し,士族授産に尽力した。しかし中央政府との疎隔がはなはだしくなり,部下に擁立されて 1877年,西南戦争を起し,ついに敗れて城山で戦死した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
            
●尊王攘夷(そんのうじょうい)とは?
尊王と攘夷が合体した言葉で、尊王は天皇を尊び政治の中心とするという意味。
攘夷は外国を追い払うという意味。
この2つが合わさって尊王攘夷という言葉が出来ました。
天皇を尊び外的を斥(しりぞ)けようという思想を言葉にした政治的スローガン
尊王攘夷論者とは、この様な主張を行う人の事を言う。

●なぜ尊王攘夷論が登場したのか?
ペリーの黒船が来航して、国内はてんやわんやの大騒ぎ。アメリカから開国を迫られてた。徳川に任せてたら日本は外国にのっとられる。このままじゃ外国にやられるぜ!何とかしないと!そこで、登場したのが、尊王攘夷論だ。
開国に対する不安や不満が増えるにつれて、この尊王攘夷の名の元に、幕府に反対する運動に発展していった。
幕末の時代劇で、尊王攘夷派とそれに反対する人達が戦ったりしている。新撰組とかは、徳川幕府側だ。

●公武合体論
幕末期、公(朝廷)と武(幕府)とが一体となって内外の政局に対処しようとした考え方で、ペリーの来航に始まる欧米各国の対日接近は,挙国体制の確立を国内緊急の課題としていたときに構想された。
しかし、現実にはそれによる者たちの立場や利害が複雑にからみあい,ついに有効な打開策とはならなかった。

 ●征韓論の背景と台頭
明治維新の大本となる動機は、西欧諸国(特にロシア)、のアジア侵略に対応可能な政治体制に変革しよう、というものであった。
特に恐れられていたのが、近代化に遅れた朝鮮や清が、西欧諸国に侵略され、日本侵略の拠点となってしまうこと
これを防ぐためには、西欧諸国が侵略するまえに日本が侵略してしまい、併せて西欧諸国に対抗しようと考えた。この考え方が征韓論だ
。西郷隆盛が征韓論を唱えた動機としては、単に西欧諸国に対抗するという以外に、明治維新で仕事を失った士族たちの失業対策という側面がありました。


●西南戦争が起こった原因は何ですか??
新政府にいた西郷隆盛が国内の士族(江戸時代に武士だった人たち)の不満を海外で爆発させようとして、韓国に出兵するように主張しました。

しかし、大久保利通たちが「まずは国内のインフラ整備が大切だから、海外に派兵する予算が組めない」と猛反対して韓国への派兵はなくなります。
これに怒った西郷隆盛やその手下の政府高官たち・軍人が鹿児島に帰ってしまいました。
西郷が鹿児島に帰ってからというもの、鹿児島県は税金を中央政府に納めなくなりましたし、「私学校」というのをつくって鹿児島県庁のエリートを養成するなど独立国家の様な感じとなった。
これらのことが、中央政府から危険分子とみなされ、士族の不満を一身に背負い西南戦争へと発展していく。最後の激戦地城山で……西郷は「晋どん、もうここいらでよか……」と言って自刃した。

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