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尺八と横笛吹きの独り言

「エルサレム」が「きな臭く」なっている。 

2017年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

なにやら・・・・・またトランプ氏が問題発言をして、混乱がおきている。
イスラエルの米国大使館を現在のテルアビブ(地図参照)からエルサレムに移すと宣言した。
つめいエルサレムをイスラエルの首都と認定したことになる。

アメリカが肩入れしているユダヤ人国家イスラエルの首都をテルアビブから、聖地のエルサレムにしたということは、アラブ人にとっては聖地をイスラエルに奪われたようなもの。エルサレムは現在、国連管理下の国際都市で帰属はどこの国にも属さない建前になっている。
聖地奪還をめぐって、イスラエル(ユダヤ人)と追いやられたパレスチナ(アラブ人)争いが始まってしまった。パンドラの箱を開けてしまった。
 みな紛争を避けようと大使館をテルアビブにおいて紛争を避けていたようです。

・・・・・この問題は深くて理解しにくい・・・・・とりあえずイスラエルの歴史から探ってみた。
あとから追加することがたくさなりそうだ。

●イスラエルとパレスチナ自治区の地図上の位置

パレスチナ自治区(写真緑)……ヨルダン川西岸地区およびガザ地区に存在したパレスチナ人による自治機関。
1948年、この土地を巡って起きた戦争に勝ったユダヤ人が「イスラエル」の建国を宣言。長年その地に暮らしていたパレスチナ人は住む家を追われ難民となりました。彼らはヨルダン川西岸地区とガザ地区、周辺アラブ諸国、そして世界中の国々に逃れた。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/palestine/whathappen.html

●エルサレムってどこ?
写真の位置で日本の四国ほどの大きさ。
エルサレムは、イスラエル東部にある都市。
ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地でエルサレムの中央部に「嘆きの丘」がある。
(ユダヤ人の祖先であるアブラハムが、旧約聖書の中で神から信仰心を試され、そして信頼を獲得するというとても重要なシーンの舞台が嘆きの丘)           
 
この聖地であるエルサレムの帰属をめぐり、今日の紛争が続いている。

ルサレムは,第1次世界大戦後イギリスの委任統治下に入ったが,1947年の国連パレスチナ分割決議により「エルサレムは国連管理下の国際都市」とするよう定められた。
イスラエルはここを同国の首都と主張しているものの、国際連合を初めとして多くの国家は認めていない。

国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている。
トランプ氏は先ごろ(2017/12/7)、大使館をテルアビブからエルサレムに移しエルサレムをイスラエルの首都と認定した。エルサレムの帰属をめぐり大きな火種となっている。ガザでパレスチナ人とイスラエル軍が衝突している。

●イスラエル・パレスチナの歴史
・3000年前・・・。その頃、現在のイスラエル地域はイスラエル王国というのがあってユダヤ人がこの地を治めていた。
この地はアジア、ヨーロッパ、北アフリカを結ぶ重要な場所。

・紀元前586年
新バビロニアによって征服されます。その後、勢力を伸ばしてきたローマ帝国に征服される。
もともと住んでいたユダヤ教のユダヤ人たちはここに住んでいられなくなり、世界各地にユダヤ人たちは散らばっていく。キリスト教がこの地で生まれます。

・614年にはペルシャによる侵攻。
・636年にはイスラム帝国が占拠。
・7世紀ごろからはアラブ人もこの地に入植。彼らはイスラム教徒になっていく。

 この地はいろいろな国、民族、宗教が移り変わっていった。
イスラエルのエルサレム地区はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3宗教の聖地でもある。

・11世紀の後半
キリスト教徒は十字軍を遠征させ聖地奪還を目指したが失敗。

・16世紀
イスラム教のオスマン帝国この地域を400年支配し、長い戦いの歴史にも終止符が打たれた。オスマン帝国では、この地域をパレスチナと呼ぶようになります。

・第一次世界大戦
 イギリスの二枚舌外交
アラブ人に対して「イギリス軍に協力するなら君たちの国家をつくるのに協力するよ」と持ちかけ、一方ではユダヤ人の金融資本家から資金提供を受けるために「お金だしてくれるならユダヤ人の国家を作るのに協力します」と二枚舌外交。

 イギリスは、ユダヤ人、アラブ人両方に独立国家をつくるという約束をしてしまい、これが、現在に至るまでユダヤ人とアラブ人との関係がこじれている原因。
 結局、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領とした。

・1947年。
第二次世界大戦後にはイギリスがパレスチナにおける治安維持能力を失い撤退するとこの地を国連の決定に委ねることになる。

  国連が出した決断は「パレスチナ分割案」。しかし、ユダヤ人に有   利でアラブ人に不利な分割案となった。
・1948年
国連分割案にそってイスラエル国(祖先はユダヤ人)が独立を宣言。

・1967年
ガザ地区、ヨルダン川西岸地区が戦闘によりイスラエルに占領される。
・1993年にパレスチナ暫定自治協定。
「ガザ地区、ヨルダン川西岸地区からイスラエル軍は撤退せよ」という命令。
ガザ地区への空爆、地上戦により多くの民間人を巻き添えにしています。

 イスラエルの隣国のシリアでは内戦。このパレスチナの混迷は中東地域の紛争の火種で、世界各国が必死に停戦を呼びかけているが、なかなかそれに応じようとしてくれないというのが現在の状況。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/isuraeruparesutina.html

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