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いくら弁当 

2017年09月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

千歳空港のお弁当に、いくら弁当という逸品があった。

今もあるのか、どうか・・。


結婚して、札幌に縁が出来て以来、私は北海道産の食材に、熱中した。

千歳空港から、戻ってくる時に発見した「いくら弁当」が、その頃のマイブームであった。


プリンストン時代にお世話になったカーチス教授の、大学生だったお嬢さんが、交換留学で日本にやってきた。

帰国してまだ間もない頃だったので、東京ではろくなおもてなしも出来ず、夏休みに車で北海道へ行く、という旅行に誘った。


道中の事は忘れてしまったけれど、ゆったりと暮らしていた札幌の両親のおもてなしは、さすがだった。


夏休みの家族大集合に、ごく自然に誘い入れてくれて、ニセコへの小旅行なども計画してくれた。

彼女も又、まだ、アメリカの記憶がうっすらと残っている娘の、丁度ベビーシッターの様に、クローバーを摘んできて首飾りを作ったり、楽しく一緒に遊んでくれた。

数日後、気を遣ったのだろうけれど、用事があるので一足先に東京へ帰るという彼女を送って、子供達や甥っ子などと一緒に、千歳の空港へ行った。

私は、その時車の旅行で諦めていた空港の「いくら弁当」を、帰りに買ってくることを思いついて、「今晩の夕食はいくら弁当にしましょう」と、半分はしゃいで家を出たとき。

門まで見送った義母が、「あんまり買いすぎないようにね!」と、思いだした様に言った。

その頃はまだ、生活感の薄かった私は、買い物に行っても材料を買いすぎて、多分見えないところで、義母が色々保存に苦心していたのだろうと思う・・。


でも。

お姑さんの一言は、絶対である。


千歳空港の出発ロビーで、彼女を見送って、さてお弁当である。

その日の夕食は、大人が四人に、子供が三人であった。

子供も居るので、考えた挙げ句、六コのお弁当を買った。

家に戻ると丁度夕食時で、義母が何か副菜を作って居てくれていて、配膳の係りは何となく私になった。


いくら弁当は、綺麗な朱塗りの器に入っているので、当然そのまま食卓へ・・。

子供達にも、それぞれ配膳して、どう考えても一つ足りないのは、自明である。

食事が始まって、子供達も大喜び。

すると、主人が私の食卓の方を見て

「早いね、もう食べ終わったの?」と訊いた。

もう、我慢も限界だった。


大の大人が、婚家で、ほろほろと泣いてしまったのだ。



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婚家

シシーマニアさん

喜美さん、

コメントありがとうございました。
婚家では、中々本音が出せなくて、たいへんですよね。

私の様に、年に二回位なのに、随分色々お騒がせしました。

2017/09/30 01:53:44

其れが毎日

喜美さん

私は初めから同居でした
中々大人数になじむまで大変で多すぎたり少なかったり当たり前でした やはり実母と違って気使いました それに義母の財布持って行くので使い方も頭使い今は一人で好きなもの作り全く楽になりました

2017/09/29 05:37:03

たしかに・・。

シシーマニアさん

やはり、食べたいという欲が強かったのでしょうね・・。

でも、それから義父は、千歳に迎えに来てくれる度に、「いくら弁当は、買ったかい」と、気に掛けてくれました。

穏やかな婚家では、いくら如きで泣く人はきっと、前代未聞だったのでしょう。
義母も、「私が、いらない事を言って・・」となぐさめてくれました・・。

婚家では、何でもズバズバと言えないところに、難しさがあるのですね。

2017/09/28 22:37:55

7>6

吾喰楽さん

こんばんは。

7人居て6個買うとは、難しい計算をしましたね。
3個か4個なら分け易いのに。

でも、切ない話ですね。
少し違いますが、嫁さんの立場としては、亡妻は同じような経験があります。

2017/09/28 21:55:55

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