メニュー
最新の記事
テーマ
- アメリカ ( 20 )
- ウィーン ( 33 )
- ウィーンからの旅 ( 6 )
- カナダ ( 8 )
- コンサート ( 13 )
- シニアライフ ( 301 )
- シニアライフ ( 37 )
- シニアライフ ( 18 )
- ナビ友さんとの呑み会 ( 12 )
- 一人旅 ( 7 )
- 一人暮らし ( 50 )
- 回想 ( 2 )
- 家族 ( 2 )
- 家族 ( 0 )
- 家族 ( 1 )
- 思い出すままに ( 74 )
- 旅 ( 33 )
- 日常 ( 1 )
- 映画 ( 11 )
- 札幌 ( 1 )
- 美術 ( 5 )
- 読書 ( 13 )
- 趣味 ( 6 )
- 音楽 ( 71 )
- テーマ無し ( 4 )
カレンダー
月別
- 2020年09 月( 3 )
- 2020年01 月( 2 )
- 2019年11 月( 7 )
- 2019年10 月( 10 )
- 2019年09 月( 10 )
- 2019年08 月( 9 )
- 2019年07 月( 2 )
- 2019年06 月( 8 )
- 2019年05 月( 11 )
- 2019年04 月( 10 )
- 2019年03 月( 19 )
- 2019年02 月( 8 )
- 2019年01 月( 18 )
- 2018年12 月( 15 )
- 2018年11 月( 21 )
- 2018年10 月( 16 )
- 2018年09 月( 10 )
- 2018年08 月( 12 )
- 2018年07 月( 8 )
- 2018年06 月( 7 )
- 2018年05 月( 9 )
- 2018年04 月( 4 )
- 2018年03 月( 8 )
- 2018年02 月( 3 )
- 2018年01 月( 8 )
- 2017年12 月( 6 )
- 2017年11 月( 11 )
- 2017年10 月( 12 )
- 2017年09 月( 22 )
- 2017年08 月( 16 )
- 2017年07 月( 11 )
- 2017年06 月( 5 )
- 2017年04 月( 12 )
- 2017年03 月( 6 )
- 2017年02 月( 9 )
- 2017年01 月( 9 )
- 2016年12 月( 9 )
- 2016年11 月( 6 )
- 2016年10 月( 18 )
- 2016年09 月( 15 )
- 2016年08 月( 19 )
- 2016年07 月( 11 )
- 2016年06 月( 20 )
- 2016年05 月( 11 )
- 2016年04 月( 8 )
- 2016年03 月( 6 )
- 2016年02 月( 11 )
- 2016年01 月( 13 )
- 2015年12 月( 13 )
- 2015年11 月( 13 )
- 2015年10 月( 14 )
- 2015年09 月( 16 )
- 2015年08 月( 13 )
- 2015年07 月( 11 )
- 2015年06 月( 19 )
- 2015年05 月( 21 )
- 2015年04 月( 13 )
- 2015年03 月( 17 )
- 2015年02 月( 23 )
- 2015年01 月( 22 )
- 2014年12 月( 30 )
独りディナー
「だって、トーニだよ」
2017年09月28日
テーマ:思い出すままに
同級生の従妹、正確に言うと従姉妹違い、が居た。
彼女たち姉妹は、母の従姉妹だが、親戚の多い一族で、母にとって若い叔母は、姉の様な存在だった。
母親同士が親しくしていたので、私達もよく一緒に遊んだ。
弟しか居ない私にとって、三人姉妹のそれぞれと遊ぶのは、半ば姉妹のような遠慮のなさもあって、楽しかった。
アカデミック好きな家庭で、当時の地方都市では教育熱心な親たちが通わせる、国立大学附属小・中学校に通っていた。
我が家は、普通のサラリーマン家庭だったけれど、其処のうちは開業医で裕福だったらしく、生活も派手だった。
当時の附属(その土地では、それが通称だった)は、裕福な家庭と、教師の家庭、の子女が多く、私も中学受験をして、後者の一人に納まった。
それからは、三人姉妹の中で次女であるその従妹とは、同級生にもなったのだ。
私は、入学前の六年生の時、音楽コンクールで優勝したりして、きっと天狗にでもなっていたのだろう。
のんびりとした、昭和の地方都市である。
今から考えると、親はその辺を考慮して、中学受験をさせたのだと思う。
附属なら、色々な特徴を持った子供達が、集まっているだろうから、と。
60年近く前だから、さすがに帰国子女はいなかったけれど、東京からの転居者が非常に多かった。
そんな家庭は、親が転勤族のエリートで、木々に囲まれた広大な知事公宅内に住んでいる人も、何人か居た。
早くから進路が決まっていて、ピアノに向かう私とはちがって、裕福組の従姉妹はその後、慶応大学を卒業してパリに遊学、そのままフランス人と結婚したらしい、という噂が風の頼りに聞こえてきた。
それから、お互い紆余曲折があって、私は主人と、彼女もフランス人と離婚した後、やはり中学の同級生と再婚したのだった。
そして何故か、彼女は私を懐かしがってくれた。
お医者さんと結婚した彼女は、相変わらず裕福そうで、新しい旦那様に守られて幸せ一杯の感じだった。
数年後、札幌で開業した彼と共に、故郷へ戻っていった。
私も、主人の実家は札幌だから、それから帰郷する度に連絡して、一緒に食事などをする様になった。
あるとき、私を見ながら、彼女は言った。
「相変わらず、派手好きだね・・」
「えっ〜?」
彼女はと言えば、FENDIだったか、私でも名前の知っている海外ブランドのバッグをさりげなく持ち、いかにも生地の良さそうなワンピースを、ふわりと着ているというのに・・。
確かに私は、身につける物は、光り物が好きだ。
宝石は、身の丈に合わないので、余りつけないけれど、はっきりした色合いの物が好きである。
その時も、インナーは艶のある濃いピンクで、胸元にちょっと光った刺繍が施されていた、お気に入りのシャツであった。
それにしても・・。
「だって、子供の頃に一緒におままごとしたけれど、名前が、トーニだよ・・」
そうだった。
その時、子供の頃の情景が、ぱーっと広がってきた。
トーニとは、小学校の頃に連れて行って貰った、音楽映画「野バラ」の、主人公の名前だった。
娯楽の少ない時期だったから、その映画を見て、弟や従姉妹たちを巻き込んで、よく一緒に、「トーニ、ごっこ」をやっていたのだ・・。
ウィーン少年合唱団に憧れ、晴れて入団を許された、ハンガリー難民の少年、トーニの物語。
その従姉妹も、10年以上前に、鬼籍に入ってしまった。
コメントをするにはログインが必要です
半日くらい、ずれていますね
コメントありがとうございました。
私は今、夕食を終えました。
>決して晩酌を抜かないのが、吾喰楽流です。
それでこそ、人生ですよね(ちょっと、大げさ?)
主人が元気だった頃、年に一度フルマラソンを走っていましたが、前日も、何時も通りに麦酒を呑んでいました。
「お酒を美味しく飲むためのマラソンだ」とうそぶいて居たのを、思いだします。
2017/09/28 19:20:06
ウィーン少年合唱団
こんばんは。
超早い、夕餉が終わりました。
今日の晩酌は、“厳選辛口 吉乃川”です。
普通醸造ですが、コストパフォーマンスは最高。
“純米大吟醸 獺祭”と、交互に飲んでいる酒です。
食後酒は、芋焼酎のオンザロックを予定しています。
明日は通院日で、血液検査がありますが、決して晩酌を抜かないのが、吾喰楽流です。
前置きが長くなりました。
ウィーン少年合唱団、懐かしいですね。
子供の頃、夢中でテレビに噛り付いていました。
ボーイソプラノ(?)の澄んだ声が、今でも心に焼き付いています。
2017/09/28 16:23:50