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歴代天皇史(二所の朝廷) 

2017年08月09日 外部ブログ記事
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二所の朝廷と薬子の変

平城天皇(皇太子、平城帝、太上天皇、平城上皇を平城天皇で記載)と嵯峨天皇を巻き込む権力争い
平城天皇は皇太子時代、藤原縄主の娘を夫人とし、その母・薬子も後宮入りした
 ☆平城天皇は、義母の薬子と関係を結んでしまい、父・桓武天皇が激怒し、薬子は宮廷から追放された
 ☆平城天皇は、体調を崩して衰弱し、実弟の皇位(嵯峨天皇)を譲り太上天皇となる
平城天皇をそそのかした義母・藤原薬子と仲成
 ☆平城天皇の衰弱のきっかけは伊予親王事件とされている
 ☆伊予親王が謀反を企んでいると天皇に密告があった
 ☆平城天皇は、伊予親王と母・藤原吉子を幽閉し二人は自殺してしまう
 ☆この事件は藤原薬子と兄、仲成がねつ造したものだった
「二所朝廷」と呼ばれる政治的混乱
 ☆平城天皇も体力が回復し、政治への意欲を示し、嵯峨天皇の政治に介入していく
「薬子の変」
 ☆嵯峨天皇は武力を行使し、仲成を捕らえ射殺してしまう
 ☆平城天皇も挙兵の為平城京を出発したが、平城京に戻り出家する
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




二所の朝廷(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

平安初期の天皇
律令政治を社会的実情に合わせ、自ら行財政改革に取り組んだ
桓武天皇は長く左大臣を置かない
 ☆貴族を抑えながら政治を行い、地方政治の改革に力を入れた
平城天皇(桓武天皇の息子)
 ☆官司や官人の整理・統合を行って、財政負担の軽減に努めた
嵯峨天皇(平城天皇の弟)
 ☆天皇の秘書官長蔵人頭や、検非違使など新しい官職を設けた
 ☆両官職は以後、政治的に重要な役割を果たすことになる
 ☆平安京の天皇と平城京の天皇が並立する「二所朝廷」となる

伊予親王事件
伊予親王が謀反を企んでいると天皇に密告があった
平城天皇は、伊予親王と母・藤原吉子を幽閉し二人は自殺してしまう
この事件は藤原薬子と兄、仲成がねつ造したものだった
薬子は平城天皇の即位とともに再び宮廷に復帰
平城天皇と関係を結び、権力中枢に食い込んでしまった
伊予親王事件の影響で、平城天皇は衰弱し、嵯峨天皇に権力が移る
薬子と仲成の力も結果的に弱まった

「二所朝廷」と呼ばれる政治的混乱
平城天皇は、伊予親王の怨霊から逃れようと平城京に移った
平城天皇は、体力が回復し、政治への意欲を示し、嵯峨天皇の政治に介入していく
嵯峨天皇は、薬子を遠ざけるため、尚侍に代わり秘書官長の蔵人頭を置く
平城天皇は、仲成を太政官組織に送り込もうとする
平城天皇は、還都令を出し、平安京から平城京への遷都を図った
平安京の天皇と平城京の天皇が並立する「二所朝廷」が行われた

「薬子の変」
嵯峨天皇は、武力を行使し、仲成を捕らえ射殺する
平城天皇も挙兵したが、嵯峨天皇は、坂上田村麻呂らを派兵し行く手を封じた
平城天皇は、挙兵を諦め平城京に戻り出家する
薬子は服毒し命を絶った

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