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尺八と横笛吹きの独り言

飯能筏流し唄・飯能筏唄・名栗川筏流し唄 

2017年05月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●飯能筏流し唄(飯能筏唄・名栗川筏流し唄など唄の名前がいろいろです)採譜してみました 
会員の方がこの飯能筏流し唄を唄われます。2尺4寸「ですから、9寸の裏吹きをしないといけません。
赤字が裏吹きです。まだ,まーだ……入魂はできません。

どこを前奏にするか迷いますが、市の民謡会の音源を聞きますと黄色線が前奏ですが……譜面最後の赤部分がわかりやすくえいいかなあ?
「家じゃ、妻子が……送りぶねよ」を前奏に採ったほうがわかりやすい。
赤線の前奏は裏吹きです。(2尺4寸の音を9寸で吹く裏吹きです)

YouTubeの「飯能筏唄」。これはさすがにうまいなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=ojM52KE5820
            
 
●埼玉の飯能から足立区の千住まで……筏流しで五日間。歌詞にもある。

●筏乗りと西川材について
飯能市の名栗地区(なぐりちく)、原市場地区(はらいちばちく)などの入間川上流の村々では、山から切り出した木材を筏(いかだ)に組み、江戸(東京)に盛んに流送していました。消費地である江戸から見ると「西の川筋から流されてくる木材」なので、『西川材(にしかわざい)』と呼ばれるようになったと言われています。
江戸幕府開府以降、町づくりや、度重なる江戸の大火の復興のために、江戸時代初期から木材を送っていたと言われていますが、それを示す資料は見つかっていません
明治期で筏流しがもっとも盛んであったのは明治20年から40年にかけて、日清・日露戦争による木材需要が急増した時期だったといわれています。
●大正4年(1915)に飯能−池袋間に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通すると鉄道による木材輸送が始まりました。また、道路が整備され、山方から飯能まではトラックで木材運搬が行われるようになり、飯能駅周辺には材木業者が多く店を構え、製材や取引はここでおこなわれるようになりました。これにともない筏流しは減少し、大正末から昭和初めごろを境に完全に姿を消したといわれています。
名栗を出発して平水ならば5日目に千住に着いたといいます。
http://www.city.hanno.saitama.jp/0000001148.html

●関連記事fueブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/54039279.html

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