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ご存知ですか?天正遣欧使節 

2017年02月19日 外部ブログ記事
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悲劇のキリシタン弾圧〜大人になった天正遣欧使節の決断〜

戦国時代にローマ教皇に謁見した、4人の栄光ある日本人少年、天正遣欧使節
帰国後は、容赦なきキリシタン迫害の時代を懸命に生きた
 ☆大勢の信者を導く責任を背負いつつ、秀吉、家康ら権力者による苛烈な弾圧に向き合い続けた
 ☆教団から去る者、海外に避難する者、日本に残り続ける者、厳しい選択の生涯
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、日本外交史外伝、NHKBS番組『英雄達の選択』
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます
















天正遣欧使節(『英雄達の選択』テレビ画面引用)

天正遣欧少年使節
九州のキリシタン大名、大友宗麟らの名代としてローマへ派遣された4名の少年使節団
 ☆中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ
 ☆キリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠の縁者で4人(3人が戦で父を失っている)
イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案で派遣され帰国した
使節団により、ヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になる
持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷が行われキリシタン版と呼ばれる

天正遣欧少年使節目的
ローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること
日本人に、ヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後に布教に役立てたい
又宣教師は、日本での成果をローマ教皇や本国の王に示したいとも考えた
 ☆日本の大名、貴族を直接ヨーロッパに遣わすことを思いつく

日・欧の背景
ヨーロッパでは大航海時代が始まり、ポルトガル、スペイン、イギリスなど列強諸国は次々と進出
宗教改革によって”旧勢力”のカトリックは、プロテスタントなどの新教側に圧迫されていた
 ☆布教の新天地を非ヨーロッパ諸国に求めた
イエズス会のザビエルが来日、日本での布教を始めて以来、キリスト教は急速に日本に広まった
山口の大内義隆をはじめ、豊後の大友宗麟、肥前の有馬晴信、高山右近、小西行長ら有力大名が次々と入信
キリシタン大名と呼ばれ、キリスト教を厚く庇護した
将軍足利義輝や織田信長から布教の許可を貰い安土に南蛮寺を建てるなど布教に乗り出した

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