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たかが一人、されど一人
読後感「太平記」兵頭裕己 校注
2017年01月26日
テーマ:テーマ無し
久しぶりに読後感を上げる。岩波文庫で6冊、原本では全40巻(1巻欠如有り)の大著である。暮から読み始めたので1か月以上かかったと思うが、我ながらよく最後まで読んだものだ。区立図書館から借りながら読んだので、感想を書くにしても内容を殆記憶していない。そもそも読書中からして、英語の本を読むより少し理解できる程度のことで、内容について記述することは不可能である。タイトルに「校注」とあるように、全ページ下部4分の1が注釈になっていて、本文のあらゆる場所に物凄く小さな活字で注釈ナンバーが振ってある。これを全て参照しながら読み進めれば少し益しかもしれぬが、それでも理解は大変だろう。ではなんで読後感かであるが、「太平記」が書かれた時代背景を理解するだけでも意味があった。大学受験科目に世界史があったが、高校時代に日本史を選択したかどうか記憶にない。仮に必須科目であったにしても、何も学んでいないのと一緒で江戸時代より古い日本のことなど何も知らないに等しい。「太平記」が描く時代は明確で14世紀半ばの約50年、鎌倉時代から室町時代への過渡期にあった南北朝時代の政治史みたいものである。作者ははっきりしていないようだが、一人ではないようでもあり、当初は主要登場人である足利尊氏が天台宗の僧で儒学者<玄恵>に命じた書かせたとする説が有力のようであるが、足利尊氏は途中で死んでしまうのだからよく分からない。本書を読んで内容はよく理解できなくても、南北朝時代とは如何なる時代だったかは大分知ることになった。一口で言えば、その後に来た織田信長、武田信玄、上杉謙信などが活躍した戦国時代以上に悲惨で混乱した時代だったみたいだ。平安時代から鎌倉時代にかけ、14世紀初頭に日本は国家(概念)が確立して、天皇を頂点とする国家統治機能も整備され、それを武家(当時は鎌倉の北条氏)が運用して国家の治安を維持する仕組みが一応確立していたようである。ごく簡単に言えば、税金を納める民と税金で飯を食う京都の皇族と武士階級に秩序立てられた。しかし当時も現在と同じで、政権を担当する武士共が段々横暴になり、民は苦労していたようだ。時の天皇(後醍醐天皇)が何を思ったか、政権担当者(鎌倉の北条氏)を討伐と思ったところから話が始まる。ところが、後醍醐天皇は逆に政権によって捕らえられ、隠岐に島流しされてしまう。その時後醍醐天皇の復権に立ち上がったのが足利尊氏とか新田義貞たちで、後醍醐天皇は目出度く天皇の座に復し、足利尊氏が将軍職に就く。がしかし、直ぐに北条方の巻き返しが始まって混乱は一層深まり、後醍醐天皇は再び都を追われ、南の方に逃げなければならなくなる。後醍醐天皇が都から追い払われると、北条氏側は脇の血筋から光厳天皇を担いで即位させてしまう。従ってその後、4代か5代に亘って日本には2系列の天皇が存在していたことになる。後醍醐天皇側を南朝、光厳天皇側を北朝と呼んだ。その間武士の間ではあっちについたり、こっちについたりで、肝心の将軍になった足利尊氏自体が後醍醐天皇に反旗を翻すに至る程である。結局この将軍に楯突くのは同郷の出身の新田義貞となり、足利と新田の戦が後半の中心になる。書くのが遅すぎたが、そもそも当時は武士にも氏素性があって、武士の氏族として平氏と源氏があり、北条は平氏、足利と新田は共に源氏である。言わば身内の権力争いが大きなテーマと言っても差し支えない。当然ながら肉親の親子兄弟関係での離反は勿論、組織上の裏切り、下剋上は日常茶飯事。2系統の天皇家から親王、内親王が沢山出てくるし、地方で武士集団が近隣を切り従えるためにこういった天皇の血筋を祭り上げることも度々出てくる。では皇族と氏素性正しい武士の物語かと言えばそうでもない。結果的には皇族が殺されることも大分あったようだ。兎に角約半世紀に亘る全国的な大混乱を経て、1368年に京都で2代将軍足利義詮の死去と後継者足利義満(当時10歳)の後見に細川頼之が着任というところで物語は終わってしまう。兎に角内容的には、太平とは程遠い血生臭い話の連続であるが、言いたかったのは日本的な秩序があっての太平のようであるが、反語的に「それは大変難しい」ようにも見える。統治を司った武士階級一つにしても、氏素性的には武士ではないが、単に河内の野武士(宮廷に仕えていない)楠木正成の系列が最後まで南朝側に忠誠を尽くすように描かれ、これがかなり重要な位置を占めている。そして後年に及び日本の皇国史観に大きな影響を与えたようだ。何れにせよ、戦国以降江戸時代まで、当時の教養人には広く愛読されたらしい。
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