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のびたの日記

寅さんが残した俳句 20年目の風天忌 

2016年08月04日 外部ブログ記事
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ヤケのヤンパチ 日焼けのなすび 色が黒くて食いつきたいが 私ゃ入れ歯で歯が立たぬ
チャラチャラ流れる御茶ノ水など あの寅さんの口上でお馴染みのテキヤのセリフである
全シリーズで48作品にも上り最後の映画は 寅次郎紅の花 マドンナは浅丘ルリ子さんであった
 
 

 
お盆や正月に主に上映され 私も全作品を観たもので今でも懐かしい
この最後の作品では がんが進行して あの映画の笑顔の裏は 壮絶な闘いであったようだ
休憩は長引き ロケ先で地元の方とも交わす言葉も無く 知らない方は冷たいねと囁いたそうだ
 


 
この映画の前には 寅さんシリーズはテレビで流れ 人気を得ていた
白黒画面ではあるが視聴率も高く 最後の画面では 寅さんは沖縄でハブに噛まれ死亡する
これも私は記憶しているが 局には抗議が殺到し のちに映画となって生き帰ってきた
 

 
添乗員での初期には ツアーの最終日 帰途のバスの中では必ず寅さん映画をビデオで流した
やがて著作権の問題もあり 各社ともバスの中で映画を上映することはなくなったのである
何度見ても愛される寅さん 渥美清は寅さん そのものだった
 
若いころは渥美清さんは 俳優を目指して 浅草のストリップ劇場で働いていた
現在の浅草演芸館の場所は 浅草フランスであり 周辺は六区と称され映画街でもある
ここで踊り子の演じる幕間に 寸劇などをしていたが やがて人気は上昇してくる
 


 
しかし肺結核を患い 片肺は手術で切除した 当時は これで社会復帰の例は無かった
この間に上野の車坂で生まれた彼は いつしかテキヤの演じる口上にも憧れた
これが昇華してあの映画での名セリフに活きてくるのである
 
上野や浅草でのテキヤのたたき売りは私も思い出に残る
衣料品やバナナが素材として多かった 何度も聴いていると 同じセリフ 偽の客も居た
じっと見ていると 私にはわかるし 邪魔だと追い返されたものだ
 

 
下町人情にあふれたシーンは 多くの共鳴や笑い そして 涙を誘っていたものである
時にはすぐにキレて 家族や隣の工場まで怒り散らして また 旅に出る
必ず 全編必ずマドンナが登場して すぐ惚れる 結果はいつも振られる
 


ロケ地はいつも私の興味を引いた もともと旅好きであるから ストーリーの他に興味がわく
ツアーなどで訪れると そこにブラリと寅さんが現れそうな気もしてくる
ちなみに全国都道府県でロケで行かなかった地は 富山県と埼玉県であるそうだ
 
49作目に高知県を予定したとある マドンナも田中裕子さんまで決まっていたが実現しなかった
そして山田洋二監督は50作目で 寅さんは幼稚園の用務員をしている姿を描く
子供たちとかくれんぼをしている時に息を引き取る 街の人たちが寅さんを偲び地蔵を作る
 




 
こんな寅さんの最終構想までしていたが 身体はボロボロ 後の2作品は幻となった
寅さんが旅に出る時 妹のさくらが見送る 京成電鉄の柴又駅に 寅さんの像が立った
寅さんがテレビに登場する前 私の若いころは この町の近くに住み たびたび帝釈天に行った
 

 
寅さんが あの渥美清さんが 俳句を残していたことは あまり知られていない
今回 テレビで紹介されたが 自由奔放な作風で 実に内容が深い
凡人の私には さらにはその奥を探ることはできないが 隠された才能をまた知らされた
 











独特の作風 観点が違う 感性が違う 
私には近づけない



とらや 寅さんの指定席に座らせて貰った 
 
20年前の 8月4日 渥美清さんは亡くなった
俳句の称号は 風天 と自分で決めて発表していた 晩年のことである
そして 今日は 風天忌 彼を偲んでの行事もあるらしい
 
       最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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