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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

親がいたからこそ今の私が・・ 

2016年04月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


ブログネタ:親に感謝していること【投稿でドットマネーがもらえる!】 参加中本文はここからこれと言って「○○が・・」って言う程のことじゃないが、母の告別式の時を思い出します 6月29日は85歳で亡くなって、17回忌を迎えます 父親の都合で知床に移住して(父は夫を亡くした姉の手伝いに)、やったこともない農作業を黙々と(今と違って機械など無く馬でだよ)・・私には楽しかった思い出位しかないが、苦労はいかばかりだったかと・・詳しくは分からないが火災(放火って聞いた)にあって、仙台に帰った時は着の身着のままで何もなく父の実家にしばらく居候 その後は近くの民家の納屋を借りて、私が中学を卒業するまでそこで暮らすが、父は仙台に帰ってからと思うが鬱病を患って、調子の良い時だけ大家さんの手間取り(お金貰っていたのかどうか) 母の叔母さんが染物工場(息子さんが社長)をやっていて、母の働きで一家4人が食べていたが最低の生活だったと思う 私と同じく「感音性難聴」で仕事場で、話がうまく通じないこともあったのか、仕事仲間との軋轢で退職した時社長はもう少し働くと、年金が貰えるからと言ったらしいが「この人頑固で」って言っていた 父も母が辞めた頃は親戚(土建業)で働いていたし、私が結婚した後は孫のめんどうを見てくれていた 息子の(可愛がった孫)の結婚式に喜び、翌年は娘の結婚式に車椅子で出席もその後は私と二人暮らしで淋しかったようだった 娘が2月に結婚し3月には「終わったは・・」って言うから、甥っ子の結婚式まだだよって言ったが「○○は待てない」と言い、その後ゴールデンウイーク前からは毎日通っていた整形外科にも通院しなくなった 私も勤めの傍ら毎日送迎で大変だったが・・そして6月14日の夜に自宅の仏壇の前に、うつぶせに倒れていて救急搬送も毎日「昨日より悪い」と言われながら、2週間ICUから出られないまま29日の深夜病院から電話で駆け付けた時は、モニターはすべて平らな線で・・告別式の喪主挨拶・・夫と父の時は妹の夫が代わってくれたが、母については私しか知らないこと感謝をみんなの前で伝えたいと、何のメモも持たなかったが多分15分以上は話していたはず・・苦労に苦労を重ねた母だったが、晩年は可愛がった孫たちと一緒に「幸せな日々」だったと今は思いたい 孫たちに優しいばあちゃんだったが、私には厳しい母でしたが今も感謝しています ブログ村に参加中ですのでが、最近低迷しています。よろしくお願い致します〜! いつも応援ありがとうございます。ブログでドットマネーを稼ぐ

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