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尺八と横笛吹きの独り言
本荘追分・・・・秋田県民謡
2016年02月11日
テーマ:テーマ無し
●民謡の中でも唄いこなすのが難しいとされている「本荘追分」だ。
これを唄われる方は相当な民謡上級の方。
日民の尺八教授の試験吹奏曲目に「江差追分」と並んで必ず出題される曲だ。
まぐれで合格した尺八教授資格。唄えないのに、とにかく音源を聞きながらメッタヤタラと練習したものだ。このときは前奏はあの長い前奏だった。
難しい唄なので・・・・民謡の会でもこの唄を唄う方は少ない。私などもとても唄えないし唄うのはほとんどが女性です。
プロの方では小野花子さんの「本荘追分」は絶品の味を出されている。
「本荘追分」の譜面を都山譜に書き換えてみた。
15年も前のH13年に琴古で自分だけの譜面を作ったが、入魂して体に入っているがこうして、都山譜に表すのは初めてだ・・・・間違いもあるだろう。
いわゆる、舞台用の演奏譜面で・・・・前奏が短いものだ。
我が民謡会の女性が8寸ぐらいで時々唄われる。そこでその方のテープをお借りして、採譜してみた。ミカド天風先生の琴古譜面やら、河童さん譜面やらを参考に・・・・舞台用(時間制限がある舞台)の前奏の短い版の手書きの汚い譜面を作ってみました。
●次は二番の譜面だ。
●「本荘追分」 秋田県民謡
1) ハアー本荘 ハ名物 ハ焼山の ハわらびよ 焼けばやく程 ハ太くなる キタサキタサ
2)ハアーあちら ハこちらに ハ野火つくハ頃はよ 梅も桜も ハ共に咲く キタサキタサ
●秋田県の西南部、日本海に面した本荘市は、かつて古木(ふるき。古雪とも)港の港町、また六郷氏2万石の城下町であったところで、かつては花柳界もあって賑わった場所でした。ここに秋田民謡の代表曲の1つ、そして東北に残される「追分節」の名曲《本荘追分》が歌われてきました。
これは「追分」というネーミングからも分かるように、信州・追分宿で歌われていた追分節が、越後から北海道へ北上する折りに、秋田にも伝えられ歌われるようになったものです。
●古くの歌詞は・・・・
○立石堂 立石堂の坂で ホロと泣いたり 泣かせたり
というような古い歌詞で歌われていたようです。これは《信濃追分》などで歌われる、
○追分桝形の茶屋で ホロと泣いたが 忘らりょか
の歌詞の変形であることははっきりしています。
ところが、大正11(1922)年と同14(1925)年に、鳥海新報という地元の新聞社が《本荘追分》の新しい歌詞の懸賞募集をしてから、旧来の歌詞は歌われなくなったといいます。
またこの唄が知られるようになったのは、昭和32(1957)年のNHKのど自慢コンクールで、長谷川久子が優勝したことからで、三味線は、秋田三味線の浅野梅若(1911〜)の手付けによるものです。浅野梅若は、昭和4年に秋田三味線の重力市太郎から習ったものを基本に、梅田豊月の津軽三味線の手を加えて確立したものといいます。
かつて信州の「追分節」は三下りで弾かれていましたが、東北では本調子となって、華やかさを増しています。
そんな曲弾き風な華やかな前奏に始まり、高調子の「ハァー」で始まる今日の《本荘追分》は、決して楽な唄ではありません。そして一見華やかなお座敷唄のようですが、やはりどこか「追分節」特有の、哀愁感のようなものが漂っています。http://senshoan.main.jp/minyou/minnyou-honjooiwake.html
●唄いこなすのが難しいとされる「本荘追分」。
●・・・・「江差追分」や「本荘追分」の元は「小諸馬子唄」ですが、
馬子唄の片鱗は「江差追分」や「本荘追分」の中にすっかり見えない気がするなあ・・・・
「本荘追分」のお座敷唄になると・・・・こうまでもまるっきり変身しちゃうんですね。
●秋田県本荘地区のお座敷唄です。
「追分節」の起源が「小諸」というのは前回より述べているが、加えて、浅間山麓を馬の鈴を響かせながら唄った馬子唄が地方に伝搬した経路は主に二つある。
一つは、北上して新潟から海路松前に行き、そこから逆に南下して船川、秋田、本荘、酒田へと伝わった経路。
もう一つは、ゴゼや旅芸人、傀儡師たちによって越後から陸路を北上し、酒田、本荘へと伝わった経路である。本荘追分は後者と見ていいだろう。
この唄を、通常の「追分」という先入観で聴くと、そぐわない印象を受ける。しかし前述の様に、伝搬の経路によって途中様変わりしていくのは当然と言えるかもしれない。
原形の小諸馬子唄、信濃追分などの哀調や悠長さは消え去り、明るくリズミカルで急テンポな曲調になっている。http://matsusakaki.com/?p=186
●本荘追分
「この唄は、由利地方(本荘市)に伝えられた唄で、北前船の寄港によって「馬子唄」「追分節」などが入り、この地に定着したものといわれている。唄によっては他の地域に移る途中色々変化するように、この唄も馬を引いて山坂を超える道中でうたわれたといわれる。古い歌詞にはほとんど山にちなんだ歌詞が多い。現在の歌詞は、地元新聞社が募集した入選作である。三味線名人の浅野梅若が旋律を整え、秋田を代表する名曲の一つになった。」
秋田みんよう企画「日本の民謡」から転載しました。
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