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敏洋’s 昭和の恋物語り

関西旅行 一日目(am 15:15〜)中 

2016年01月21日 外部ブログ記事
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いよいよお城の中へと進みますよ。
まず小さな門です。


いの門


門をくぐります

それにしても、狭いです。なんででしょうねえ、くくく。
答えは、後ほど。分かった、ですって。
鋭い。でも、他の人には内緒、ということで。


姥が石(うばがいし)

羽柴秀吉が姫山に3層の天守を築いていたとき、城の石垣として使う石集めに苦労していた。
城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆がこれを知ると、石臼を秀吉に差し出した。
秀吉は老婆の志に大変喜んだ。
この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したという。
実際に乾小天守北側の石垣には石臼が見られるが、この石垣は秀吉時代に構築されたものではない。
他にも古代の石棺を石垣として使用している。
                            ―― ウィキペディアより


城内

倉庫でしょうかねえ。武器なんかが入れてあったりして。
違いました。
「腰曲輪の渡櫓。この櫓には井戸があったり、塩や米の倉庫になっていた」
ということだそうです。

それにしても、小さな門がいくつあるのやら。
いの門、ろの門、はの門と名前が付いています。
どうやら、四方に門があり、いろは文字が付けてあるようです。
そうそう、水の門というのもありました。

こんな逸話があります。
どこで、なにで見知ったか、とんと思い出せないのですがね。

曲がりくねった位置に作られていて、敵兵を少数ずつ呼び込んでは、上から弓やら石やらで攻撃したとか。
そして倒した敵兵を片付けて、また少数を誘い入れて攻撃をかける。
そういったことを繰り返して、敵兵を悩ませたと。

ただ、この話が姫路城でのことだったのかは、判然としませんが。

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