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のびたの日記

喪中葉書が出せない心の葛藤 

2015年11月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



街を歩いていると 年賀状・喪中葉書の印刷承りの文字が眼に付いてしまう
そろそろ普通なら出さねばならない時期だ
私は どうしても心の中で 出さねばと言う意思と そう踏みきれない意思が葛藤している
 

 
先日 ようやく妹の写真を ただ立てかけて居たのを 写真立てに入れた
何だか遠くに去った気持ちである お前も向こうへ行ったんだねと心で語りかける
もう一枚は6月の浅草公会堂のカラオケ大会で歌っている写真 グランプリを取ったものだ
 
告別式も49日も仏教で行った それはそれで相手の家のことで受け容れている
ただ 無信心に近い私でも 両親がクリスチャンだったので どちらかと言うとそれに近い
まだ 棺に入れない妹に 私はキーボードで讃美歌の ま白き富士の根を弾いて聴かせた
 
妹の連れ合いも喜んで その姿を写真に撮っていた
キリスト教で言うと 喪中は心で有っても 正式には無い 従って 法要に近いことも無い
それでも日本の風習に沿って 年賀葉書等は慎んでいる
 

 
私の心は葛藤する どうしても 妹が亡くなったので云々の文字が書けないのである
こうしてブログには書いているものの なにか抵抗感が湧いてきてしまう
妹の居ないのが事実なのに 認めたくない気持ちが働いてしまう 世間からは笑われるだろう
 
大体 喪中だって ネットで調べれは 二親等で兄弟は3カ月 その人の気持ちで以上もある
9月15日に亡くなったので 12月中旬で喪が明ける
新年は心を切り替えて おめでとうと言っても差し支えない
 
これは単なる私の屁理屈で 実際には そんな気持ちには到底なれない
では 年賀葉書が来てしまったらどうする?
その時は さすがに おめでとうは書けないので 出来るだけ言葉が少なく書いて出すか
 
私の近況を知っている方は 年賀状は書かないだろう
普段 付き合いをしていない方なら それも良いか
ただ 年賀状さえ買って置く気持ちもさらさら起きない
 

 
こんな想いが毎日 行ったり来たりして居る
早く 心の切り替えをすれば良いのに 見せかけは出来ても 心では全くダメな私が居るのだ
明日は 知人から貰ったお米を持って行こう 数えたら明日が49日目でもあった
 
 
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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