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のびたの日記

笑顔はあるけれど少し切なく感じてしまう 

2015年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



あの人も この人も 長くこの施設に居る
毎月1回 欠かさず音楽訪問して かれこれ7.8年は経過しただろうか
それだけに私はこの方たちの変化を 切なさを覚えながら記憶しているのだ
 
5.6年の間に 皆さんの顔も少しづつ衰えを隠せない
記憶力も減退して行く姿が 眼の前に有る
もう少し元気があった もう少し歌も歌えていたのに・・・
 

 
高齢者であり 介護施設の入所の方であるから 仕方ない現実ではある
それでも皆さんは この歌の時間が楽しいのだろうか 少し笑顔を浮かべて歌っている
ただ 他の施設のように 全体では大きな声にならないのだ
 
私はキーボードを弾きながら いつも全体を見渡している
あの方は歌っているか 他の方も歌っているか それは口元を見る
ここは比較的 認知症程度 介護程度が重い方が多い
 

 
声に出せない方も居るが 心で歌っているのだろう
私は良く終戦直後辺りの話を皆さんに向かってする
この時代を苦労して生き抜いた皆さん 私も小学校時代ではあるが波乱の連続だ
 
共通の話をすることによって 心が開き 安心感 信頼感が出て来る
思い出すことによって 記憶の糸の端を掴むことが出来るかも知れない
そうだよね 当時のことを話し合える仲間だよね そんな気持ちで語りかける
 
正直 小学校5.6年の 学校の記憶は私には全く無い
納豆売りをしたり 鉄くず拾いに行く父に付きあったりしたことは覚えている
学校では今では考えられない男性の暴力教師がいたっけ
 
誰かが悪戯していたら 共同責任だと男子生徒を並行して向きあい立たせた
そして互いに相手の顔を殴れと指示した 大概の生徒は従ったが私は殴れなかった
その代わりに 嫌と言うほど教師から往復ピンタを貰ったことだけは覚えている
 
教師にはなれなかったが 定時制高校に通う一時期 小学校の教師を目指した
経済的にも諦めたが そんな反面教師の教えでもあった
父が酒を飲むと母や私まで殴ったりしていたことがあるせいか 酒は未だに飲めない
 

 
啼くな小鳩よ 高原の駅よさようなら こんな歌を歌って貰う時 時代背景を話す
パチンコ屋さんが出来た時代ですよ あの1個づつ球を投入して弾く機械です
そんなパチンコ屋さんから聞こえて来るこの歌を 私は覚えたんですよと笑う
 
時には 不良小学生 そのパチンコ屋で人の間を縫って落ちた球を探す
拾って空いている台で弾くと 当たりに入ったこともあるんですよと話すと皆さんが笑う
あながち誇張では無く 学校のことは歌も含めて一つも覚えていないのである
 
高原列車は行く この歌はね 作詞も作曲も福島県の方が作ったのですよ
背景のイメージは 当時走っていた磐梯山の麓を行く沼尻鉄道の小さな列車だ
え〜弁当はいかがですか〜なんて声は ここには無かったようですよ
 
旅で列車に乗って お弁当買った記憶があるでしょう?
あっお弁当やさ〜ん と走りだしそうなホームで遠くから声を掛けて間に合って受け取る
あっ〜 お釣りお釣り〜 慌てて間に合ったこともあるね〜 皆さん笑いながら頷く
 
歌の時間が終わると 皆さんが私の姿を眼で追う
近くを通ると握手を求めて来る また来るからね 元気でいてね
この方たちの ある時間を笑顔が浮かべて頂けるなら 私は共に感謝と喜びである
 
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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