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独りディナー
手法の違い・・?
2015年03月23日
テーマ:美術
ピカソが好きだ。
初めて、彼の大作を目にして、暫くその場所に立ち尽くしてしまったのは、ジュネーブにあるパレ・パルフィだった。
40年程前の事だ。
場所の名前が正しいかどうかも、定かではないのだけれど・・。
その時、私はジュネーブ国際コンクールのピアノ部門を受けに、ウィーンからやって来ていたのだ。
演奏が終わって、結果が出るまでの数日間。
事務局の人にでも教えて貰ったのだろうか。
気分転換にジュネーブの街を歩き回って、ふらっと立ち寄った館には人影も無く、二階のホールの壁いっぱいに、ピカソの絵だけがあったのだ。
あれは、壁画だったのだろうか。
裸体の女性が横たわっている傍で、大きく目を開いた男性がクラリネットを吹いている。
静かな中で、力強いピカソの個性が、まるで突き刺さる様にして私の胸に飛び込んできたのだった。
コンクールという緊張の場であったからこそ、こちらの感受性が尋常ではなかったのだろうけれど。
すっかり、ピカソに魅了されてしまった私は、それから旅先で美術館を見つける度に、ピカソを探しに足を踏み入れたものだ。
境遇も変わって数年経った頃、ピカソの「ゲルニカ」所有騒動についての記事を、新聞で読んだ。
只、スペインで王政が復古して、結局「ゲルニカ」が、ニューヨークからマドリードへ戻った頃、私は残念なことに日本を離れていたので、毎日新聞を読む様な生活ではなかった。
大分経った頃、スペイン大使館の人と話をしていて「王女様が・・」という言葉を耳にした時、ああ時代が変わったのだ、という実感があった。
あの「ゲルニカ」はどうなったのかしら。
10年程前主人のお供で、スペインのセヴィリアへ行った。
大分私も旅慣れてきた頃だったので、できればマドリード経由で行きたいと思った。
ガイドブックをみると、今はマドリードに「ソフィア王妃芸術センター」という美術館が設立されて、「ゲルニカ」はそこで展示されているらしい。
主人の仕事の日程をみると、帰途ならばマドリードに一泊する行程が可能であった。
お天気の良い日だったなあ。
マドリード駅から歩いて行ける距離の、かつては病院だったという古い建物が、その芸術センターだった。
展示されている階へ着くと、ちょっと薄暗くて長い廊下があり、そこの壁にかかっていたのが「ゲルニカ」であった。
廊下の幅は広かったけれど、でも廊下である。
これが世界で物議をかもした、あの名画の、展示方法だったとは。
係りの人は、休憩でもしていたのか、その時そこには誰も居なかった。
絵のすぐ近くまでは寄れないように、何本かのポールが立っており、それらの間に、ビロードの太いロープが張られていて、絵までの距離を遮っていたのが、辛うじて貴重品らしい佇まいであった。
これが、「ゲルニカ」か・・。
「ゲルニカ」は、芸術作品として偉大である以前に、反戦のメッセージという背景こそが重要なのだった。
そして、それは私が魅かれる、ピカソの個性があふれ出てくる様な手法とは、ちょっと違っていた。
殆ど彩色されていないというのも、理由の一つだった。
がっかりしながらも、側から離れられずに立っていると。
「せっかく来たんだから、他の部屋も見てみよう」と主人に言われて、周りの部屋も回ることにした。
其処には、代表的なスペイン画家達の絵が、たくさん展示されていた。
ミロやダリの絵もたくさんあった。
「若い時に生み出した手法の影響って、大きいね」と、横で主人が言う。
目の前には、ダリの精緻極める大きな絵と、色とりどりの円が浮かんだ様な更に大きなミロの絵が、あった。
「二人の、絵を描く所要時間は、えらい違いだろうなあ」
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名作は、ひっそりと見たいですね
彩々さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
ピカソ手相と、お揃いですか・・。これから何か、美術に限らず才能が開花するのでは?
「ゲルニカ」は、私の中でずっと課題の様になっていました。期待した様な感動はありませんでしたが、一応卒業できた気分は味わえました。
名画なのに、余り人がいなかったことが印象的でした。しばらくしたら観光客の団体(日本人でした)が押し寄せてきましたが。
ルーブルの「モナリザ」は、開場直後に入れたので、(事前に入場券を手に入れた為)すぐ近くでゆっくり見られて、ラッキーでした。
30分位後に、再度見に行ってみると、既に観光客が押し寄せていて、それも「モナリザ」をバックにして、お互いの写真を撮っているので、滞在時間が長いのです。自分も観光客なのだから、文句は言えませんけれど。
パリに暫く滞在して、人気のない「モナリザ」や、「ニケの像」が堪能できたらなあ、とつくづく思いました。
2015/03/26 11:42:21
西洋の文化が見られる
シシーマニアさんのBlogは貴重です。
拝見するだけでお得感を感じている私です。(笑)
>あれは、壁画だったのだろうか。
それほど大きな作品なのですね。
余分なものを排除し、作者の感情だけが
浮き彫りにされて、伝わり方が違います。
私も旅先でも(日本のいわきの旅館の物)
ピカソの作品が展示されていて、ピカソの
日常を撮った写真も公開されていました。
そこに両手のひらを映したものがあり、
私はそれにも目が釘付けに…
自分の手相と同じ、両手の中に
「神秘十字線」があったことに感激したものです。
この世界的な画家と同じ手相の持ち主なのに
この差は何でしょう!?
そのためか、ピカソを勝手に身近に感じて
おりますの。(笑)
2015/03/26 08:22:43
人それぞれの観点ですね
吾喰楽さん、こんばんは、
コメントありがとうございました。上野の西洋美術館は、常設も良いけれど、やはり企画展は楽しいですね。
前庭に野ざらしで立っている、ロダンの「カレーの市民」は、通りがかりによく眺めていました。
2015/03/25 21:38:00
ピカソ
おはようございます。
その昔、通りすがりに、上野の美術館で「ピカソ展」を観たことを思い出しました。
有名な絵ですが、思ったより小さかったので、驚きました。
若い頃は、結構、解りやすい絵でしたね。
2015/03/24 09:01:02