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雑感日記

姉(母)と弟(叔父) 

2010年11月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★母は101歳である。
お盆のころにひざを痛めて、ちょうどお盆休みであったこともあって、救急車で病院まで運んで頂いた。
検査の結果、体に炎症があるからと、そのまま入院となってしまったのである。
入院するとよくなるのかと思ったら、今まで入院などしたことがないので、精神的に参ってしまったのか、一時はどうなることかと思うほど解らなくなってしまった。一番下の妹夫婦が見舞に来てくれた時は、結局誰が来たのかも解らないような状態だった。9月の半ばごろになってやっと幾らか元気になって退院し、そのまま家には戻らずに養護施設のりんどうの里にお世話になっている。
母は男3人女3人の6人兄妹、兄2人は既に他界し今4人が残っている。
一昨日、一番下の弟夫婦がわざわざ鵠沼から面会に来てくれた。 弟、私から言えば叔父にあたるが昭和3年生まれだから5つしか違わない。子供のころは兄弟のように面倒を見てもらった。
りんどうの里の方は、101歳の母の弟夫婦が面会ということで、90歳を超えた老夫婦が来るものとばかり思っておられたのだろうが、老夫婦には違いないが叔父はまだ82歳、叔母は私よりずっと若くて家内と同じくらいのお年なのである。
3人姉妹の長女で、2番目の妹さんは、細川元総理の奥様、3番目は金田正一とバッテリーを組んでいた根来の奥様とか。母のすぐ上の兄が国鉄スワローズの初代総監督をしていた楠見幸信なので根来さんとはそんなご縁だとか聞いている。
明石から三木までは、妹夫婦が送ってきてくれた。

★先にりんどうの里に行って待っていたのだが、一昨日は至極ご機嫌がよかった。
この6月ぐらいまでは、自分でちゃんと歩けたのだが、入院してベッドに寝ていたら、足が弱ってしまって今は車椅子である。 8月末頃の何も解らないころがウソのような回復ぶりである。指をさして何か勝手なことを言っていた。

会うのは、10年ぶりくらいだが、確かり解っていて良かった。
不思議なもので、今の事は皆目解らないくせに、昔のことはよく覚えているのである。
 
叔父が持ってきてくれた昔の写真などは、目がそんなに見えるはずはないのに、話していることは意外なほどまともなのである。
私の子供のころの、戦前の写真がいっぱいあって、私自身も懐かしかった。

 ヨコで見ていて、姉弟というのはまたいいものだなと思った。
姉弟と言っても20歳も年が離れていて母が結婚したころはまだ叔父は3つだったとか。
 
★わざわざ鵠沼から、来ていただいたが、母もちゃんと解ってくれてよかったなと思っている。
叔父夫婦は、京都泊まりだというので、防災公園のビーンズドームへ案内して、新神戸まで送った。
建築家である叔父も、ビーンズドームにはビックリのようであった。
 
私には4人の妹がいる。最近はこのブログも読んでいるようなので半ば私信のようなブログである。先日見舞に来てくれて何もわからぬまま帰った末の妹夫婦も写真をみて、幾らか安心すると思う。
先日、母の入院中にお見舞いをいただいた東京にいる叔母(母の妹)やご無沙汰ばかりの方たちにも、母からのご挨拶の代筆のつもりで書いている。
これも、わざわざ叔父夫婦が三木あたりまで来て頂いたからである。 本当にありがとうございました。
 

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