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尺八と横笛吹きの独り言

あそこに行けるかなあ・・・・ 

2015年01月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

中央の4寸管尺八は亡くなられた師匠から譲られたものだ。
生前に闘病中の先生からお貸し頂き、葬儀が終わり・・・・先日師匠の奥様からお許しをいただきました4寸管尺八。
師匠が数々のコンクール(十勝馬唄など女性用)で吹奏した尺八で「形は悪いが鳴りはよい・・・・」と師匠が言われていた尺八だ。師匠の形見ですので大切に使いたい。

●昨晩の民謡課題曲
足尾切刀節・白浜音頭・秋田大黒舞・相川音頭・生保内節(fue唄)・長者の山・狭山茶作り唄・岡崎五万石・南部牛追唄・筑後酒造り祝い唄・長崎ブラブラ節・石投げ甚句・正調刈干切唄・上州鏑野糸ひき唄・帆柱起こし祝い唄(合唱)
今月の25日(日)が市の民謡発表会になる。
正選手(今回出場する方)、そうでない方・・・・それぞれ持ち歌を練習。
今回はfueどのは伴奏専門で、10曲程度・・・・少々気が楽だ。
●現在fueどのは生保内節(おぼないぶし)を2尺2寸の2本で踏ん張っています。
歌詞2番目で覚えました。昨晩は2番で息継ぎ箇所を間違えましたね。
この唄、マズマズの出来。歌詞を覚えて慣れてくると高音部が出るようになるのは不思議。あと一歩ですね。
●「帆柱起こし祝い唄」の合唱もみなさん、だんだんとそろってきました。
練習はあと一回です。
「筑後酒造り」が出ました。相変わらず「最初のフレーズ」を口ずさんでいただき回路がつながりました。
「岡崎」はむずかしい。歌手を邪魔しちゃう吹き方ではまずい。
「白浜音頭」は4寸リドリ・・・・師匠の尺八で吹きました。            

 
●行けるかな熊野詣で・・・・
クラブツーリズム・・・・熊野・高野山・・・・それも語り部つきで熊野古道・中辺路をゆっくり歩く・・・・中辺路これで「なかへち」と読むのですからおもしろい。
●お伊勢参りと熊野詣で
江戸時代、一生に一度は"お伊勢参り"をすることが、庶民の夢でした。人々は「伊勢講」を組織し、旅費を積み立て、くじで代表を選び、交代でお参りをしたのです。
"お伊勢参り"は、"熊野詣で"とともに、日本人の庶民観光流行の原点とされています。
https://www.wakayama-kanko.or.jp/worldheritage/kumanokodo-isegi/kodo.html
いまのところ行きたいところのナンバーワン。
熊野古道を歩いてみたい。語り部の説明を聞きながら・・・・
夫婦二人で13万ほどかかります。行けるときに行かないと・・・・
特養に入所している義母義父が元気なうちに・・・・ジョンクンは動物病院にあづける。
行けるかしら?もっと温かくなって3月ごろかしら?

 
●紀伊半島のあそこから入り、こう抜ける・・・・らしい。
紀伊半島などはほとんど縁がない・・・・そういえば高校の修学旅行で和歌山の「那智の滝」
を見たっきりでほとんど行かないところですね。
先のコースでは新幹線で東京から新大阪に入る(写真の左緑丸)
そしてバスで南部温泉泊(左赤○)・・・・
ここから中辺路・熊野古道・熊野本宮大社ときて・・・・民謡の串本節の串本に泊まる。
(写真南端の赤丸)・・・・さらに熊野古道・那智大社・・・・名古屋(写真右上の緑○)ときて
新幹線で東京まで戻る。2泊3日だ。いいねえ・・・・歩いても90分だ。私なら歩いても3〜4時間は大丈夫だが・・・・連れあいは歩くのが苦手。やむを得ない。
行けるかしら・・・・病気にでもなれば行けない。
熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。
●熊野古道とは・・・・
主に以下の5つの道を指す。
全国各地から熊野を目指して参詣道ができた。
•紀伊路(渡辺津-田辺)(きいじ)
•小辺路(高野山-熊野三山、約70km)(こへち)
•中辺路(田辺-熊野三山)(なかへち)
•大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)(おおへち)
•伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)(いせじ)
最後の伊勢路が伊勢参りから熊野詣でをする長いルートで最も有名なコース。
今回のコースは中辺路(田辺-熊野三山)(なかへち)からの熊野詣でだ。

これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


●このコースは中辺路(なかへち)という熊野古道を行くらしいぜ。
江戸時代、人は皆、伊勢を目指したといってもいいくらいである。「一生に一度はお伊勢さま」の言葉を裏付けるかのように、当時の史料には驚くほどの参宮者数が記録されている。
なぜこのように人々はお伊勢参りに駆り立てられたのだろうか。参拝が目的にしても、半分は物見遊山の旅を楽しみたかったのが正直なところだろう。江戸時代は社会が安定し、街道も整備されて、庶民にも少しばかり生活に余裕ができた時代である
http://cleanup.jp/life/edo/86.shtml

観光と言うことなら、お伊勢参りの方が、交通の便が良くまわりやすいのに、お伊勢さんそのものの荘厳な雰囲気が楽しめますし、「おかげ横丁」と言う門前町もあり、満喫できると思います。熊野詣は、そもそもが、極楽浄土を目指す修験道が元ですので、江戸時代から観光的な側面のあったお伊勢参りに比べて、地味な印象があると思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1020557060

一生に一度は熊野詣で・・・・年取るとだんだん修行僧に近づくですよ。
四国のお遍路さんもいってみたいものだ。
海外より今は国内ですよ。外人さんは皆、日本をめざしています。
こうしてちょっとづつ旅行ができるといですね。


職場の「今年の抱負」を写真に撮らせて頂きました。
職場の掲示板から・・・・20代〜30代の若者の職場です。
「旅行にいきたい」2票
「新車を買う」
「体重を増やす」女性かしら?
「お金の無駄使いをしない」 
旅行をしたい・・・・との希望が印象的。
若い方も結婚前に旅行しないと出来ない。我々は死ぬ前に・・・・
さて・・・・行くためには働かねば・・・・ならねえ。
老後もそんなに甘くはありませんが、行けるときは・・・・いまでしょ・・・・
早く春になって欲しい・・・・ものだがのう。

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