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第67回 昭和35年梅雨 バレーボール部退部 

2014年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


中学3年の6月、3年生のバレーボール部員は10人いた。
その頃は、バレーボールは9人制だったから、3年生9人で丁度よいのだ。
私1人退部してもみんなに迷惑をかけない。
1・2年の時は、部活はどうにか無理なく楽しく出来たが、3年になると、選手になるための練習がかなりきついので、退部したいのだ。
選手になりたい気持ちはなく、暑い夏休み中の毎日午後の部活は、私には無理と思えた。
それを先生に話すと、「やってみなければ、分からないだろう。」と言われそうだ。
それに、応援のほうが好きで、バレーボール部に飽きてきたのだ。
成績が下がった今が、退部のチャンスだ。
母に許可を得る必要は無かったが、「私、バレー部をやめるんよ。」と言った。
「そお。やめたほうがええよ。夏の部活は無理と思うんよ。それに、バレー部に入って、太ももが倍くらい太くなったよ。それ以上太くなるとみっともないねえー。」と言って同意。
そして珍しく、「お父さんにも話した方がええよ。」と母。
父にも許可を得る必要ないと思うが、「お父さん、私バレーボール部を退部するよ。」と伝えた。
久しぶりに話しかけたからか、父は気をよくした感じで、「なぜ退部するんじゃ?」と聞き返した。
母は、最近私が父に話しかけないから、きっかけを作ったなと、その時分かった。
「3年は10人いて、選手なるのは9人なんよ。私は選手になりたくないの。だから私が退部するとちょうどいいんよ。」
と、父が納得しそうな返事をした。
「そうか、分かった。」といった後、「しかし、心に無い事を言うもんじゃないぞ。」とも言った。
私は、心に無い事を言ったのではなく、心にある一部のことを言ったのだ。
心に無い事を言えるはずがないと思ったが、反論せずに頷いた。
次の日、バレーボール部の顧問で保健体育担当の先生に、授業が終った時退部を伝えることにした。
「先生。私、バレーボール部を退部したいのですが、」と言ったところで、「どうしてだ。」と、先生は即座に言われた。
「部活が負担になっています。成績も下がったので、辞めさせてください。私1人が退部しても迷惑をかけないから、いいと思いました。」と応えた。
しばらく考えて「よし分かった。しっかり勉強しなさい。」と先生。
私は、ホッとして「これで、無理をしなくてもいいんだ。」
「真知子ちゃんが天国に行ってから、なんだか力が出ないかもしれない。」などと思った。
小雨の中、切戸川のそばを歩いて帰宅していると、あじさいの花を見つけた。
花と一緒に、私もにっこり微笑んだ。
その後、「心に無い事を言えるのだろうか?」という疑問が、私の中にあることに気付いた。
小学生の時、「心の声を聞きなさい。胸に手をあてて考えなさい。」などと、先生から聞いた事がある。
胸がドキドキすることもあった。
だから、心は胸あたりにあって、色々なことを感じていると理解していた。
だが、中学になって、生物の授業で学んでいるうちに、脳で感じていると分かってきた。
脳で嬉しいと感じると、それが全身に伝わり、顔がほころんだり、「うれしーい!」と声に出たり、体がウキウキするのだ。
悲しい出来事が視野に入ると、脳が感じて同情したり、全身に伝わって、うつむいたり涙が出るのだ。
脳は、「退部できて、ホッとした。」「夕日がきれいで見つめてしまう。」「私自身は負けても平気だわ。」などと、言葉で感じている。
「心(脳)で感じたり、思い浮かんだり考えることは、言葉や表情や行動で表現できる。」と私は思う。
「心(脳)に無い事を言えるはずがないのに、他の人は言えるのだろうか?なぜ父は私に『心に無い事を言うもんじゃあない。』と言ったのか?」という疑問が残った。
しかし、私自身は心(脳)に無い事は言えないのだから、それ以上深くは考えないことにした。

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