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第66回 昭和36年晩春 放送係(2) 

2014年07月27日 外部ブログ記事
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5月になり、どうにか放送当番の日は、放送室に15分前に着けるようになった。
それは、隣の組の当番の嬉子ちゃん達が誘いに来てくれるからだ。
私もたまには誘いに行ける様になった。
次は、放送内容を間違えない対策だ。
空白のある台本では不安なので、放送内容をすべてレポート用紙に書いてから、それを読むことにした。
「おはようございます。今日は5月16日月曜日です。お昼の休憩時間、保健委員会が開かれますので、保健委員は体育館に集まって下さい。」
「本日の音楽鑑賞は、ショパンの子犬のワルツです。」と書いていると、
当番の秀子さんが「こんなに簡単なことなのに、どうしてわざわざ書くの?」と不思議そうに言った。
「いつも、間違えそうになるからなんよ。ちゃんと書いて読めば、大丈夫と思うんよ。」と応える。
小学6年の時、関西から引っ越してきた秀子さんは、「まだ分からないわ。」という顔をしている。
傍にいた以前から親しい嬉子ちゃんは、「そうじゃね。」という表情で、ニッコリ笑って頷いた。
彼女は、私のおっちょこちょいとあわてん坊を知っているからだ。
これで、どうにか放送係をやっていけそう。
6月にはずいぶん放送係に慣れて来たので、もっと丁寧に話そうなどと思うようになった。
私は新しい一つのことに夢中になると、他のことは手薄になりがちだ。
6月中旬の中間テスト前に、真知子ちゃんが亡くなっていないので、テストに出そうな問題を教え合うことができなかった。
やはり、テストの結果は、各教科みな点数が下がる。
バレーボール部も選手になるための練習がきついので、私は休みたかった。
「部活ばかりして、勉強をサボったらダメだぞ。成績が下がったら、やめさすぞ!」と、バレーボール部顧問の先生が、部活に熱心な部員に言っていた事を、思い出した。
テストの点が下がったので、バレーボール部を退部できると、私は内心嬉しくなった。

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