メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

一休さん、木刀をさして 

2014年05月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「一休とんち話」は、ほとんどが後世の人の創作。
なのだが・・・・。ネットに「アニメの一休さんと、
実在の一休宗純を混同している人がいますが、全く
別人です」というのがあった。
そこまで言われると、ウ〜ん、ちょっと待って である。

「一休とんち話」は、事実ではないが、実によく一休の
本質を表しているのである。一休を知り尽くした上で
「一休さんなら・・したであろう」という内容に
なっているところが すごい。

実在した「一休宗純(1394−1481)」の行状については、
一休の没後まもなく弟子たちによって編纂された
『一休和尚年譜』によって知れる。

「一休とんち話」は、その『年譜』には ほとんど
出てこないが、逆に『年譜』にはあって「とんち話」に
無いのが「木刀」の話である。

一休 42歳、堺に居た頃、刀を差して市中を闊歩し、
刀の柄を叩いては、見る人を挑発した。人々は、
「刀は人を殺す道具。それを坊さんが腰に差すとは
どういうわけか」と問いただすと、一休は「わからんか?
今、そこらにいる贋坊主どもは、寺にいる時は 真剣の
ように見えるが、一歩外に出れば、ほれこの通り」と
抜いてみせ、「木刀にすぎない。木刀では人を殺すことも
活かすこともできん」と。人々はどっと笑った。

この逸話から、「一休・朱太刀像」というのが何点も
描かれている。椅子に腰掛ける一休の横には、杖の
代わりに、朱鞘の長い刀が描かれている。

「朱太刀」は一休のシンボルなのだが、なぜか、
江戸時代に書かれた「一休咄」には出てこない。


「贋坊主」とは、一休の兄弟子「養隻(ようそう)」の
ことを差す。「養隻」は、堺の商人たちに禅のを広め、
「公案」を売って、大徳寺に 冨と繁栄をもたらした。
一休は、それが気にいらない。「禅を金で売るもの」
として厳しく非難した。

一休は「木刀」を差したパフォーマンスで、堺市民の
喝采を浴び、人気を取りつけたのだった。

後に、82歳で、大徳寺の住持となり、応仁の乱で
焼失した大徳寺の再建にあたったときには、一休は
堺の豪商たちから、莫大な資金の提供を受けている
のである。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ