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平成の虚無僧一路の日記

一休さんの「水飴」の話は・・・ 

2014年05月09日 外部ブログ記事
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「一休とんち話」の代表格といえば「水飴の話」。
もちろん、これは江戸時代の人の創作。

江戸時代になって刊行された仮名草紙『一休諸国物語』に
登場してくる。ところが、この話は、狂言の『附子(ぶす)』
と同じであり、『沙石集』や中国の『笑禅録』にもあるとのこと。

『沙石集』は、鎌倉時代の中期(1279〜1283)に編纂された
仏教説話集。『沙石集』では「坊主と稚児」。

昨今の狂言ブームで、「水飴の話」は「一休さん」より
狂言の『附子(ぶす)』として、知られるようになった
ようだ。中学の古典教科書にも載っているとか。

「附子(ぶす)」といえば「ブス」と誰もが連想する。
「附子」とは「トリカブトの毒・漢方薬」でそうで、
不美人を「ブス」というのは、トリカブトの毒で、
神経がやられ、顔が醜い表情になるからだという。

さて、その狂言の『附子』では、「有る家の主人が、
使用人の太郎冠者と次郎冠者に、“桶の中を覗いては
いかん。臭いを嗅いだだけでも死ぬブスという毒が
はいっておる”と言いおいて外出する。そう言われると
気になる二人。扇で風を払いつつ近づいて、蓋を開けて
みれば、なんと砂糖。二人は奪い合うようにして砂糖を
なめつくしてしまった。
主人が帰宅してみると、大切にしていた茶碗と掛け軸が
めちゃめちゃに壊されている。二人は大泣きして、
“掛け軸と茶碗を壊してしまったため、死んで詫びようと、
猛毒の附子を食べたが死ねず、困っている”と言い訳するの
だが、主人は怒って“やるまいぞやるまいぞ”と、逃げる
太郎冠者と次郎冠者を追いかける」という話。

狂言の『附子』も古い『天正本』では「坊主と二人の
若い僧」だった。

「水飴」で検索してみると、古くは 発芽玄米で、後に
麦芽で作られた甘味料。(麦芽水飴)。

砂糖は江戸時代の半ばまでは、輸入に頼らざるを得ず、
金銀と取引される 大変高価なものだった。砂糖が庶民の
口に はいるようになったのは、8代将軍「吉宗」が
琉球からサトウキビを取り寄せ、栽培を奨励してから
とのこと。

狂言は大名相手の演劇だから、大変貴重で高価な「砂糖」
になっているが、江戸時代初期の『一休話』の頃までは、
「砂糖」は、一般人は見たことも口にしたこともなかった
ので「水飴」になったのだろうか。

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