メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

女子だって 

2014年04月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「男子三日会わざれば・・・」という諺がある。
「以て刮目して見るべし」と続き、男と言うものは、ちょっと見ない間に、見違えるように、
変わってしまうものだと、端的に語っている。

しかし、これを知らない人も、少なくない。
それもそうだ。
「刮目」なんて言葉は、日常は、まったく使われない。
文に書く場合は、字が見えるから、おおよその見当も付くが、
問題は、口で言った場合だ。
一般的でない言葉を、安易に口にすると、嫌味になることがある。
おのれが、さも物知りだと、ひけらかしているように、聞こえるからだ。

そこで、それを緩和するために、一部を省略する。
「男子三日会わざればだな、それは・・・」で、終わらせてしまう。
以下は相手次第だ。
丸投げのようなものだ。
ニュアンスで、なんとなく、分かってもらえれば、それでいい。
分からなければ、それも仕方ない。

「まったくそうだ。刮目して見るべしだな」と、
正しく繋げてくれたら、それはもう、大変に嬉しい。
おぬしやるな・・・
その人物を、見直したりもする。

ある時、居酒屋でそれをやったら、Tの奴が、続きをすかさず、
返してよこした。
「他人の如しだな」
これには、参った。
ずっこけそうになった。
しかし、後でよくよく考えてみれば、それもまんざらではない。
男なんて、冷淡なものだ。
久しぶりに会ったって「やあ」の一言で、あっさり別れてしまうことがある。

Tは、才気煥発な男だ。
咄嗟に、思い付いたのであろう。
私は、笑って、その場を終わらせることにした。
そこで、本当のことを言ったら、Tの面子をつぶし、
ひけらかしに輪をかけることになる。

後で、少し後悔した。
飲みながら、そんな諺を出す方がいけない。
己が知っているからと言って、入社試験でもあるまいし、
友人に対し、テストのようなことを、やってはいけない。

 * * *

この諺、何も、男子に限ったことではない。
女子だって、同じことだ。
しかも、A子に会うのは、三年ぶりだから、思わずこの目を、こすらずに居られない。

考えてみれば、当たり前のことだ。
三年前、十二歳。
三年後、十五歳。
小学生だったA子が、高校生になって、今、私の目の前に居る。
驚くのは先ず、その背丈だ。

「幾つになった?」
「160です」
おお・・・と、ため息が出るほどに、伸びている。
顔だってもう、立派に大人のそれだ。
分別と言うものが、そこに匂い始めている。

「どうだい、N高は?」
有名な進学校なのである。
そこへ入っただけでも、大したものだ。
「囲碁部に誘われています。OB、OGの皆さんから、猛烈に」
「やればいい」
「考えています」

私は近くの小学校で、囲碁を教えている。
A子はそこで、私が最初に教えた生徒だ。
もちろん、正規の授業ではない。
希望者だけが参加する、クラブ活動であり、毎週一回の、活動日がある。

卒業までに、何とか彼女を、初段にさせたいと思っていた。
しかし、果たせなかった。
中学に入ったA子は、テニス部に加わってしまった。
「すみませんねえ、せっかく教えて頂いたのに」
彼女のお母さんの方が、私に会うと恐縮し、謝っていた。
囲碁を止めてしまった、そのことをである。

「いーや、大丈夫です。見ててごらんなさい。人生の何処かで、A子ちゃんは必ず、
また囲碁をやり出すから」
「そうでしょうか」
「賭けてもいい」

大見得を切ったけれども、絶対の自信があったわけではない。
私の方が先に、この世を去る。
だから、仮に外れたって、知ったことではないということだ。

「一局打ってみようか?」
「はい、お願いします」
A子が訪ねて来たのは、碁をやりたかったからだ。
何しろ三年、石を握っていない。
囲碁を再びやるかどうか、決断するために来たようだ。

こんな時の、扱いが難しい。
優しく打ち、お上手お上手と褒めるか、力を込め、厳しくやっつけるか、である。
私は、後者を選んだ。
生半可な気持なら、囲碁をやらない方が、良いと思ったからだ。

一手一手、A子は熟考を繰り返す。
その慎重さは、三年前と少しも変わらない。
私の厳しい攻めを、何とか凌いでいる。
と思っているうちに、私の打ち過ぎを咎め、
とうとう中規模の石を、取ってしまった。
驚くべし、彼女は三年前より、読みが深くなっている。
「本当に、やってなかったの?」
「はい、やってません」
澄ましている。

いやはや、驚かされた。
そして、こんなうれしいことはない。
子供の成長を、喜ばない親が、この世に居ないのと、同じことだ。
多分A子は、N高の囲碁部に入るだろう。
そうして、また、私のところへやって来るだろう。

「囲碁をやると、頭がよくなる」
という説がある。
説に過ぎない。
そうありたい、願望が言わせるのだと思っていた。

しかし、A子を見ていると、あながち、当たっていなくもない。
囲碁をやったせいで、彼女は頭がよくなった。
だから名門高にも入れた。
三年間、石を握らなかったのに、むしろ強くなっている。
ここにおいて、囲碁の効能というものを、考えないわけに行かない。

 * * *

今度来たら、A子に言ってやろう。
「すっかり大人になっちまったんで、先生、目をこすったよ」と言い、それに続け、
「女子、三日会わざれば・・・だなあ」と。

問題はそこで、A子が笑うかどうかだ。
もし彼女が「先生、それ、男子でしょ」と言えば、
それは「刮目」をも、知っていることになる。
私は、五分五分だと見ている。
相手が、教え子だからいいだろう。
私はまた、テストをやりたくなっている。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

幸せです

パトラッシュさん

喜美さん、
難しい言葉なんて、知らなくても、この世は生きて行けますから。
無理に知る必要は、ありません。

お兄さん方、お父さんに碁を習えたなんて、それは、幸せなことでした。

2014/05/01 10:15:06

難しい

喜美さん

私はある時から難しい文 言葉
皆忘れました ナビの人の場面汚すときも まるで会話が外れている事度々です 麻雀は母も許可して(4人でないと出来ずしかなく)入りましたけれど
碁は兄たちは父に習い 私はおはじき代わり位でした何も知りません
女の方で強い方尊敬しちゃいます

2014/04/30 11:31:19

囲碁の効用

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、こんにちは。

囲碁には、論理的に組み立てる部分と、感覚でとらえる
一面があります。
強くなる過程で、その両面が鍛えられるのだと思います。
A子の場合は、好循環したようで、先が楽しみです。
私も長生きして、その大人になった姿を、見届けたいものです。

囲碁は、歳を取っても始められます。
SOYOKAZEさんも、いかがでしょうか・・・

2014/04/26 13:13:42

テストは兎も角

さん

囲碁は脳細胞にあらゆる局面での局面打破、搦め手からの攻撃など高度な知的回路を開かせるのだと思いました。

A子ちゃん、先人の残した言葉を知らずとも、生きて行く上で大きな物を会得したと思っています。

私は先の言葉も意味も知っていますが、囲碁は未知の世界だし、多分才能もないと思います。

人生色々、人も色々、A子ちゃんの才能開花を私は素直に喜んでいます。

2014/04/26 11:46:00

失敗です

パトラッシュさん

風香さん、
詰め込み過ぎました。
文章の要諦は、単純化です。
それに反しています。
さながら、今日の風のように・・・
さわやかな香りを運ぶような・・・
そんな文が書きたいものです。

2014/04/26 11:45:34

なるほど・・

さん

今日は素晴らしい お話をたくさんいただきました。
日本語学、囲碁の効果、男性と女性の思考回路の違いなど。
たくさんの話題にコメントを絞れない、と言うコメントを残します。

2014/04/26 10:32:22

PR





上部へ