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第53回 昭和33年秋 そろばん教室(2) 

2014年04月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


中学1年の秋になって、私は自分の性格が少しづつ分かってきた。
椅子に座ってコツコツとそろばんのように細かいことを続けるのが、苦手だ。
小学生の時、漢字の練習を続けて帳面に数行続けて書いていると、飽きてきて最後に間違ってくる。
漢字の宿題が1ページの時、字数が少ない大きい升目のノートに書いていた。
絵の教室で、色紙を小さくちぎって貼り絵を製作する時、和子ちゃんや砂子ちゃん達は、2日間以上取り組んで完成させて、「やったー!」と満足そうだった。
私は、続かず半分しか出来ない。
卒業前に取り組んだが仕上がらず、敏春先生をがっかりさせた。
他にも仕上がらない絵があったので、「今度来た時、仕上げよう。」と先生は期待していたようだが、数枚は残念な結果のままだ。
一方、新しいことや珍しいことはすぐやってみたくなる。
中学になって算数と言わず数学という教科が始まり、XYZやabcを使って問題を解くよう、教科書に説明が書いてある。
新しい問題も、教科書の通りに解いていくと答が出てくるので、易しく感じどんどん進んでいく。
図形の問題もクイズのようで面白い。
教科書を作った人が、私の分かりやすいように説明しているので、数学の教師の説明はなくても大丈夫だ。
しかし、解き方の分かった同じような問題を何回もやっていると飽きてしまい、終には数字や文字を書き間違え解けなくなる。
だから、復習は嫌いでやりたくなかった。
「abcを見ただけで頭が痛とうなるわ。先生の話し方がいやじゃから数学は嫌い。」と言う英語も嫌いな級友がいた。
教師が予習を勧めるので、部活の日は無理だが、日曜日にはどうにか出来るのでやっていくと、授業が退屈だ。
英語の嫌いな級友には、最初はaxを〇xにしたり、△yや◇zにしたら分かりやすいのにと、教え方について考えたりして過ごしていた。
社会の歴史は、新しい珍しい物語のようで好きになった。
少し長い物語を読めるようになったので、2・3回読んでいると、歴史の流れが分かってくるし、教師が教科書に書いていないことを話してくれるのが楽しい。
時々、時代の変化や事件などが「何年に起こったかテストにでるので覚えなさい。」と教師が言う。
私は、わざわざ何年かを覚えることが苦手で、数字も難しい漢字も正確に覚えることが出来ない。
年表を見れば何年かは載っていてすぐ分かるのだから、わざわざ覚えなくてもいいではないかと思い、覚えなかった。
面白いことや珍しいことや、それが起こった理由など読んだり聞いて分かったことは、わざわざ覚えなくても、頭の中に紙芝居のように絵と文章が浮かんできて、思い出せる。
数字や電話番号などを覚えるのが得意な級友が多い。
何事にも根気よくコツコツ続ける人や物覚えの良い人を、すごいと感心する。
私は、新しい珍しいことはすぐやりたくなるが、長く続けると嫌になることがしばしばだ。
椅子に座って、勉強や作業など同じような細かい事を続けていると、飽きてきてミスをするようになる。
一方、外で運動などして体を大きく動かすことは、楽しく気分爽快になるので、1〜2時間なら続けられるように思う。
運動をして気分転換しても、家に帰ってから、少ししか勉強は出来ない。
1年生の終わり頃、そろばん教室を止めたくなったので、母に伝えると、「そー。そーだろうね。」と返事。
私がじっと座って細かい作業を続けるのが苦手なことを、母が分っていたので助かった。

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