メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

尺八と横笛吹きの独り言

民謡は労働の唄であり、悲しい歴史も伝えてるのね! 

2010年08月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

<div class='wiki'>
●久しぶりの採符作業<br />
随分と採符作業もやっていない。<br />
 おさらい会で、「気仙坂」と「島原の子守歌」を唄う方がある。これを吹かなくてはいけない。<br />
気仙坂は12年も前に自己流琴古譜面を書いたが、都山符になおしたい。<br />
<div class="alignCenter"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_0?1282562359" alt="イメージ 1" class="popup_img_320_240"></div><br />
ダイニングの机の上はご覧のように、しっちゃかめっちゃか・・・・<br />
「気仙坂」の唄は三度くりかえしている。同じメロディをなんども吹いている感じで、全体がつかみにくい。音源は菊池信夫さん。これを聞きながら採譜をチェックするが難航しました。<br />
この唄が「たたら」を踏むときの労作唄であったことや、銭座(ぜにざ)と言われる鋳造(ちゅうぞう)の作業唄からきていることもおもしろい。<br />
「島原の子守歌」は島倉千恵子さんや岩崎ひろみさんが唄ってきれいな哀調のある唄である。昭和にできた唄であることも初めて知った。しかし、悲しい歴史が隠されている。<br />
歌詞の中の「久助(きゅうすけ)ドン」とは人買いの主で怖がられていたようだ。<br />
貧しさのあまり、娘を売春目的に、東南アジア(カンボジアなど)売られた歴史がある。<br />
それを「唐ゆきさん」と言った。あまりにもかわいい名前の裏に暗い歴史がのぞいている。<br />
            <br />
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_1?1282562359" alt="イメージ 2" class="popup_img_210_300 clearFix alignRight"> <br />
●写真はたたら(蹈鞴)を踏んで、風をおこしている写真。<br />
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)<br />
これを踏むときのリズムはゆっくりだ。しかし気仙坂のメロディは早すぎる・・・・ちょいと疑問である。<br />
唄いながらタタラを踏んで確認したいところだ。<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_2?1282562359" alt="イメージ 3" class="popup_img_453_640 clearFix alignLeft"> <br />
●気仙坂採符1<br />
大迫町外川目銭座は盛岡藩の公設銭座の初めで、鋳造作業のなかで「タタラ」を踏んで炉に風を送る作業がある。そのときの労作唄「鋳銭坂」が「気仙坂」に変化したものと考えられる。古風な落ち着きをもった格調高い唄で、盛岡市太田や雫石町などでは「鋳銭坂」(おいせ坂)と呼ばれ、祝儀の際に唄われている。発祥地は花巻市大迫町。<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_3?1282562359" alt="イメージ 4" class="popup_img_453_640 clearFix alignRight"><br />
●気仙坂採符2<br />
●岩手県を中心に、青森、宮城両県で広く唄われている祝い唄。気仙坂は、気仙沼から気仙へ抜ける旧道にある坂のことで、曲名は唄い出しの”気仙坂……”から生じたもの。男が「御祝い」を唄えば女が「気仙坂」で祝った。腕のよい気仙大工を唄うところから、かつて気仙大工が唄っていた木遣り唄の一種が、<br />
祝い唄になったようである。「銭吹き唄」「斉太郎節」「田の草取り唄」「姉こもさ」などの元唄になる<br />
(<a href="http://www.1134.com/min-you/02/k0301.shtml)" target="_blank">http://www.1134.com/min-you/02/k0301.shtml)</a><br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
●この唄は、財宝に関係した唄で今では目出度いものとして祝儀の席上に唄われ踊られるようになり、<br />
一種の皿踊りで片手に小皿2枚ずつ持って踊る。曲調は陰旋律で落ち着きを持った良い曲節である。<br />
昔、職人達は鋳銭(じゅぜん・ちゅうせん)の炉に風を送るため、たたら(踏鞴)を踏む際唄った「銭吹き唄」といった作業唄で「銭座節」「たたら踏み唄」「鋳銭坂」「気仙坂」とも呼んだ。<br />
<div class='indent'>
銭座とは貨幣を作る工場のことで鋳銭場とも呼んだ。享保13年(今から380年前)開設された大迫の外川目銭座は、南部領における公設銭座の始めであったが、その後九戸郡・小久慈・石巻等に出来たが明治新政府になり、銭座がなくなってから旧南部領の二戸・五戸・九戸・岩手各郡で「麦搗き唄」「籾摺り唄」などに姿を変えて唄われている処もある。各地に銭座ができたので銭座節でも多少節回しも異なり、今盛岡地方で唄われている気仙坂は旧都南村、飯岡地方の唄で県を代表しているようである。<br />
楽譜を見ると同じ節回しを3回も繰り返しており口説き節のように長いので平凡になりがちで味を出すにはなかなか至難である。現代のように電気機械のないフイゴをたたらで踏み気長に作業しながら唄った昔の人の心情が偲ばれる。  (岩手県民謡同好研究会 佐々木正氏資料より)<br />
<br />
</div>
●歌詞<br />
1.気仙坂ヤーハ−エー 七坂八坂九坂   十坂目にヤーハ−エー 鉋をかけて平めた<br />
   それはうそよ ヤーハ−エー  御人足かけて平めた ヨイトソーリャ サーノーナーヨーイ<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
2.どこの旦那(エナ)様ヤーハ−エー 今朝のしばれに 何処さ行く 姉コだましの 帯買いに<br />
   帯コ買うならばヤーハ−エー 地よく幅よく丈長く 結ぶところは 鶴と亀<br />
  鶴と亀ヤーハ−エー 下がるところは 下がり藤  めでたいところは 祝松<br />
                          ヨイトソーリャ サーノーナーヨーイ  <br />
(<a href="http://www15.plala.or.jp/chibasakato/kongetuno.htm)" target="_blank">http://www15.plala.or.jp/chibasakato/kongetuno.htm)</a><br />
</div>
<br />
<br />
<div class='wiki'>
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_4?1282562359" alt="イメージ 5" class="popup_img_453_640 clearFix alignLeft"> <br />
●島原の子守歌・譜面採符<br />
江戸時代の末から明治・大正、昭和の初めにかけて、遠く中国や東南アジアなどに渡り、娼館(しょうかん)で働いた娘たちがいました。『からゆきさん』と呼ばれたそれらの娘たちの多くが島原(長崎県)、天草(熊本県)の出身者だったといわれます。<br />
『おどみゃ〜 島原の〜』の歌詞で始まる『島原の子守唄』は、多くの方がご存知のことと思います。貧しいがゆえに南方へ送られていった娘たちを哀れむ一方で、少数ながら成功して帰ってきた「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写した。<br />
 この唄は、宮崎康平(本名一彰 1917〜1980年)作詞・作曲による戦後の創作子守唄です。<br />
 <br />
島原鉄道常務のかたわら文筆活動に勤しむ宮崎康平は、昭和25年(1950年)、極度の過労から眼底網膜炎が悪化して失明、二人の子を置いて妻は出奔します。失意の中で、泣く子をあやすうちに出来たといわれる子守唄は、昭和32年(1957年)、島倉千代子の歌でレコード化され、広く知られるようになりました。<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
▼ 作詞作曲 宮崎康平<br />
(1) おどみゃ島原の<br />
    おどみゃ島原の<br />
    梨の木育ちよ<br />
    何のなしやら 何のなしやら<br />
    色気なしばよ しょうかいな<br />
    はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい<br />
    鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい <br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
説明) 私は、島原の貧しい家の育ち<br />
    色気なんてないから人買いに連れて<br />
    いかれることもないでしょう<br />
    泣かないで早く寝てちょうだい<br />
    早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの<br />
    久助どんが連れにくるよ<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
(2)帰りにゃ寄っちょくれんか<br />
   帰りにゃ寄っちょくれんか<br />
   あばら家じゃけんど<br />
   唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯<br />
   黄金飯ばよ しょうかいな<br />
   おろろんおろろん おろろんばい <br />
   おろろんおろろん おろろんばい<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
説明) 帰りには寄って下さいね<br />
    あばら家で白飯は出せないけど<br />
    粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ<br />
</div>
<br />
<br />
<div class='wiki'>
(3)山ん家はかん火事げなばい<br />
   山ん家はかん火事げなばい<br />
   サンパン船はよろん人<br />
   姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で<br />
   船ん底ばよ しょうかいな<br />
   泣く子はガネかむ おろろんばい<br />
   アメガタこうて ひっぱらしゅう<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
説明) 人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて<br />
    山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で<br />
    沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。<br />
    姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。 <br />
    泣く子はカニに噛まれるよ。<br />
    泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
(4)姉しゃんなどけいたろうかい<br />
   姉しゃんなどけいたろうかい<br />
   青煙突のバッタンフル<br />
   唐はどこんねき 唐はどこんねき<br />
   海のはてばよ しょうかいな<br />
   はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい<br />
   おろろんおろろん おろろんばい<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
説明) 姉さんはどこへ行ったのだろう?<br />
    青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?<br />
    海の果てだろうか<br />
    早く寝なさい、泣かないで<br />
</div>
<br />
<br />
<div class='wiki'>
(5) あん人たちゃ二つも<br />
   あん人たちゃ二つも<br />
   金の指輪はめとらす<br />
   金はどこん金 金はどこん金<br />
   唐金げなばい しょうかいな<br />
   嫁ごんべんな だがくれた<br />
   つばつけたら あったかろ<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
説明) あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる<br />
    あの金はどこの金だろうか<br />
    外国から持ち帰った金だろう<br />
    お嫁さんの口紅は誰がくれたの?<br />
    燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう<br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
(6)沖の不知火<br />
   沖の不知火<br />
   燃えては消える<br />
   バテレン祭りの バテレン祭りの<br />
   笛や太鼓も鳴りやんだ<br />
   おろろんおろろん おろろんばい<br />
   おろろんおろろん おろろんばい<br />
 <br />
説明)有明海の不知火は燃えては消えるよ<br />
   バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ<br />
   泣かないで早く寝てちょうだい<br />
   泣かないで早く寝てちょうだい<br />
 <br />
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/736368/img_736368_50918125_5?1282562359" alt="イメージ 6" class="popup_img_217_348 clearFix alignRight"> <br />
●写真は売られていった「唐ゆき」さんの絵はがきであろう。<br />
●唐ゆきさんの歴史<br />
近代の初め、『からゆきさん』となって異国に売られ、過酷な運命にさらされた娘たちは10〜20万、あるいは30万ともいわれます。この子守唄は、そうした歴史のあったことを如実に物語り、今に伝えています。<br />
 確かに、ブラームスやシューベルトの子守唄が、近代ヨーロッパ中産階級の、豊かで幸福な家庭における子供の子守唄であったのに対して、わが国の伝統的な子守唄に歌われているのは、封建時代の暗い陰々滅々とした世界です。<br />
 <br />
だから、豊かになった今日の日本には馴染まないもの、不要なものということでしょうか、現代の日本の若者たちは、短調のメロディーや悲哀のメロディーに関心を示さなくなったばかりか、子守唄のような日本の伝統的な旋律や唱歌が最近、音楽の教科書から消え去りつつあると言われます。<br />
(<a href="http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShimabaraKomori.htm)" target="_blank">http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShimabaraKomori.htm)</a><br />
</div>
<br />
<div class='wiki'>
こんなリアルな史実もあります。<br />
普段の客はさほど多くないが港に船が入ったときが、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ったという。一泊10円、泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった。(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われる)[2]<br />
現地人を客にすることは好まれず、かなり接客拒否ができたと見られる。しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、そんなときに休みたくても休みはなかったという<br />
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』唐ゆきさんより)<br />
</div>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ