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昭和2年生まれの航海日誌

遠かった農上がり (6) 

2013年06月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


  登校するとき「しろかき」してあった田は田植えが済んでいた。
  早く植えた水田は水が澄み、活着した苗が水面を薄緑に変え
 ていた。

  藁葺きの農家、生垣がその水おもてに映し出されたた光景は
 素晴らし一幅の絵を見るようだった。

  苗場で田植えをしている。これで田植えは終わるのである。
 遠かった農上がりがやっと来た。

  ゛のあがり饅頭”の葉を採りに行くのが子でもの仕事であった。
  ガキ共が一緒になって近くの松林(造林)へ「サルトルイバラ」の
 葉を探した。
  
  なかった。柏と蔦葛の葉にした。
       


 麦粉、小豆餡で作った饅頭を葉の上に載せて蒸すのである。
  お菓子屋で作るような、体裁のいいものが作れるわけはない。
 せめては葉だけでも本物にしたかった。

  ゛のあがり饅頭゛ 実はこれは好きではなかった。最も他の菓子
 でも、甘いものは胸が焼けるので苦手だった。
  小児胃潰瘍に罹っていたのではないかと、思い出すことがある。

  爺さんも弟たちも喜んで食べた。女学校へ自転車通学をして
 いた叔母は、帰宅するなり、3、4個食べてから、始めて
 「うまい」と言って、続けざまに食べた。 驚き、唖然とした。

  皮の厚い、ゴツイこの饅頭は本当に美味いと思ったのは、ごく
 最近のことである。

  北海道に赴任したとき、小樽で、妻と子供が真っ先に飛びついた
 のが”べこもち”であった。

   ”のあがり饅頭”と同じじゃないか、美味いのかな?
  それから、子供もすっかり好きになったようである。

  退職後、田舎にいたとき、”のあがり饅頭”を沢山貰って、冷凍
 したものを、レンジにかけてたことがあった。
  これは美味い、と生まれて初めて気がついた。

  ”べこもち”が好きで、これが嫌いなわけがない。
  そういえば、友人がこんなことを言うたことがあった。

  「部長さん、こんな上品な菓子をくれるより俺は饅頭が欲しい」
 そんなものかもしれない。彼も”のあがり饅頭”で育った。

  麦秋の重労働をねぎらとともに、神に感謝の意をこめて供えた。
 長かった、しっかり食べて、今度は田の草取りをしよう。
  
  農民は年がら年中、いや死ぬまで麦秋だったのである。
 農上がりなんてありゃしない。
  ”のあがり饅頭”が一寸休め...

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