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徒然なるままの思いつきブログ

やばいな 

2012年08月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 産経新聞の、電子版に安倍晋三さんが李明博大統領の発言について、日本天皇の権威に対する挑戦だ、みたいなことを言ったと書いてありました。 自民党の長老がこういう事を言ったというのは、解らないではないけれど、この発言に僕は危機感を覚えます。 天皇は、憲法第1条に『日本国の象徴』で『日本国民の統合の象徴』だと規定されています。 決して、その権威性を認めているわけではありません。 権威とは、(GOO辞書)1 他の者を服従させる威力。「行政の―が失墜する」「親の―を示す」2 ある分野において優れたものとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められていること。また、その人。オーソリティー。「―ある賞を受賞する」「心臓外科の―」 今回は、1の方ですが他の者を服従させる威力、という意味で使われていることは明白です。 憲法では、同条に『この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』と有るように、天皇に権威があるから日本国乃至は日本国民統合の象徴であるという事ではないのです。 怒るべきは、日本国民の総意で天皇の存在を認め(もちろん、歴史観その他の要素があるにせよ)た存在を冒涜したから日本国民が怒るという流れでなければなりません。 もちろん、その総意が醸成されていく家庭において、今上天皇の被災者に対する心使いや眼差し、その前からの数多くの国民統合の象徴として、かくあらねばならぬという信念に基づかれた行動の全てが國民が天皇を象徴として認める根拠になっているのです。絶対に、権威を云々という発言をしてはいけないと僕は思います。権威という言葉がついてしまうと、戦前に舞い戻ってしまうきっかけになってしまうと思うからです。権威のある天皇がこう仰ったから、こうだとか言われてしまうと抵抗できないじゃないですか。権威があるんですから。天皇を戦争のお題目に使えた戦前は天皇に権威を認めていたからです。だからこそ、憲法は天皇の存在を象徴にしたんです。9条も含めて、憲法改正論議はありますが、アメリカに押し付けられたからどうのではなくて、何が書かれているか、で判断したいです。もっとも、9条を押し付けたアメリカが、困っているみたいですけどね。武力放棄はあんた達が日本にやらせたんじゃないか、だから日本は武力放棄するんじゃないかって、突っ張ってみるのも良いかもしれませんね。まあ、今の日本の武装状態ではそうも言えないか。

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