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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

やっと・・ 

2012年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


今日は12日だからあの「大震災」から、1年4ヶ月が過ぎたのですね 


確か昨年の3月18日頃からだったと思うが、宮城県警のHPに震災の犠牲者の方や、行方不明者の方の名前が毎日発表されていた 


その頃はまだガソリンは買えないし、被災した家に行こうにも歩くしかなかったし、往復すると1万歩になり翌日は歩けなかったり・・


そんなことから毎日県警のHPを検索するのが日課になった 


それがいつだったか定かじゃないが、行方不明者の中に高校時代の友達の名があり、同じ友達と二人で連絡を取り合い毎日すべて確認していた 


そして犠牲者の中に彼女の名前を見つけたら、七ヶ浜の方じゃなく市内の方で「同姓同名」だったようだった 


勿論犠牲になられた方には申し訳ないと思いつつ、少なからず安堵した 


どこかに避難していたら手紙が転送されるだろうと、手紙を出した翌日彼女から携帯に電話があって驚いたり喜んだり・・


電話では良く聞こえず兎に角無事にご自宅にいらっしゃると、言うことだけは分かり「落ち着いたら行きます」と言ったが、気になりながら行く暇がなかった 


それが一昨日電話してご都合が良かったら、「12日にお伺いしたい」と・・


そんな訳で今朝は早々に家を出て、七ヶ浜に向かい1時間もかからず友達のお宅に着いて、元気な姿を確認できた 


幸いにもご自宅は高台にあり、津波の水も僅かながら手前までしか来なかったと・・


2時間余りも45年前くらいに卒業した仲間も消息など、おしゃべりをし昼時になって慌てて帰ろうと・・


10代の頃会社の仲間と行った「菖蒲田海水浴場」に、行ってみたいと言ったら彼女は一緒に車に乗ってくれ案内してくれた  


我が家の辺りは田んぼに「瓦礫」はないと思うが、津波の水が入ったとことはまだ瓦礫があちこちに、集められていた 


「菖蒲田海水浴場」は確か遠浅の、人気の海水浴場だったと思うが、勿論今年も「海開き」はないとのことだし、海水浴場に立つことは出来なかったが「あの頃」を思い出すことは出来た 


勿論海水浴場の周辺の民家は、流されて土台しか残ってなかった 


菖蒲田海水浴場のもっと先と思うが、海が見えて慌てて車を止めたが、雨は僅かながら風もあり波が荒かった 

  
   



いつもはサーフィンの人がいらっしゃるとのことだったが、勿論人影は無かった 


帰りにはKOBAに会いに ソニ仙台ーFCとの試合に行った、七ヶ浜サッカー場のところを通ったが以前行ったことがあった場所と、以外と近いところで驚いた 



電話で話をした時から「必ず会いに行こう」って思っていて、今日はやっと念願が叶った嬉しい日に・・友達って良いなぁ 





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